体験談集3

YHさん (2012年2月19日 新潟)

 

最近はアンマやバガヴァンから少し気持ちが離れていたので、

用事もあるし会に行かなくてもいいかなという気持ちで居ましたが、

誘っていただいて参加出来て本当に良かったです。

 

今迄は、身体も心も緊張しながらディクシャを受けていましたが

今回は先生に初めて委ねて受けられた感じがしてとても嬉しかったです。

 

最近、幼稚園で娘が色々あり、先生や副園長先生から電話を

もらったりしています。

しかし、それは全て私の子育ての為に起きているようだと解りました。

今迄は、娘の問題として娘を叱っていたのですが、

しかし、それは私の対応の仕方を教えてもらっている事なのだと

気づかされました。

それを教えてくれてありがとうとディバインに言いました。

 

以前、姉にディクシャをしてもらった時に感じた観音様が

ずっと忘れられず私のディバインだと確信しています。

これからも、感じている存在を大事にしていきたいと思います。

昨日、先生の会に参加出来て良かったです。

本当にありがとうございました。

 

 

STさん

 

松田先生のアウェイクニングコースは、自分を長年苦しめている

マインドをトラやライオンに威嚇されたような、家に忍び込んだ

泥棒が家主に見つかってしまったように感じます。

そうなるともうエゴやマインドではごまかしがきかなくなり、

どうにもならなくなります。あとはそこをしっかり見て体験するだけす。しっかり見て体験が起きたら苦しめていたマインドから解放されます。

幸せになりたい方、今苦しみの中におられる方、

過去の苦しみから抜けられないでいる方、松田先生の眼の奥の

バカヴァンにそのままのご自分でお話されてみてください。

一度体験なさるとわかります。松田先生のお話もわかりやすく、

何度かともに瞑想されると気づきが早く起こり、

インドにいったような不思議な感覚になれますよ。

 

[体験、気づき]私は喪失感やむなしさが時々襲ってきて、

わからないけどなぜか淋しくなって孤独を感じることがありました。

それは両親との関係性が築けていなかった、ということに気づきました。私の中で起こったことと、気づきは、母の愛は臍帯で繋がっていた、

その何者でもなくそこには愛があるだけです。

だから胎児期や乳幼児期の無意識層では母の愛じゃないとだめなんです。何らかの形で、その母から離されたという体験は、

近しい親戚にどんなに優しくされてもトラウマとして無意識層に

残ってしまいます。唯一許せるのは、母や父が臍帯で繋がっていた

祖母です。今現在何らかの形で両親がいなくても、

必ずハートやDNAの一つ一つに両親や先祖がいます。

ハートで会話ができればそこで必ず自分を癒すことができて、

赦しが起こってきます。

あらためてバカヴァンの教えのすごさに驚かされました。

この気づき感謝致します。

 

 

NNさん (2012,2,17 名古屋) 

 

 名古屋のディクシャ会に参加させていただいて

 ありがとうございました。

 今までの私とは何か違う感じの体験がありましたので、

 お知らせしたくなってメールさせていただきます。

 

 先生のハンドオンディクシャのあとシャバーサナしているときに、

 小さい子供のころの感覚が蘇ってきました。

 空も風も木も花もみんな優しく輝いていて、それを見ている

 小さい私も優しい気持ちで楽しくて…

 とても穏やかでゆったりしていて、きらきらしてる…

 あぁ…そうだったなぁ…こんな感じだったんだ…

 この感覚を長い間忘れて生きてきたんだなぁ…

 頑張って頑張って頑張りすぎて生きてきたんだなぁ…

 もう頑張りすぎる生き方はやめにしたい。

 心の底からそう思いました。

 

 それから、バクティ1の儀式が始まって、先生がパドカに

 捧げ物をしているとき、手を合わせて目を閉じていましたら、

 大勢の人(インドの人たちかしら?)が集まって喜びの声を

 挙げながら手を振っている映像が見えてきました。

 そこは円形の場所らしく、円のぐるりの3分の1くらいが

 高くなっていて壇上にアンマとバガヴァンがいらっしゃいました。

 人々はアンマバガヴァンに手を振っていました。

 お二人もそれに応えて笑顔で手を振っていらっしゃいました。

 バガヴァンが壇上の右端まで歩いてこられ、すると、

 映像の視点はバガヴァンのおみ足にフォーカスしはじめ、

 おみ足がクローズアップして迫ってきました。

 サンダルは普通のサンダルではなく、ヒモで足首から膝下まで

 編まれて固定されていました。

 ギリシャ時代の戦士のように。

 若くたくましいおみ足でした。

 視点はまた大勢の人たちに移りました。

 そこには私もいました。

 みんなが喜んでいるのが嬉しい!

 喜んでいるみんなの中に自分がいるのが嬉しい!

 そんな感情がありました。

 そして、みんなの歓声がひときわ高くなると、

 それに応えてバガヴァンがこちらに降りてこられるのかな、

 とみていると、なんと、みんながいる場所がせり上がって、

 バガヴァンのいる壇上と一緒の高さになりました!

 バガヴァン、アンマとみな抱き合い、喜び合っているのです。

 と、こんな映像がはっきり見えて、とても嬉しかったです!

 来月はどんな体験が出来るのか、また楽しみになりました。

 ありがとうございました。

 

 

KAさん(男性・40代・東京・1/23岡山・富のディクシャの体験談)

 

 富のディクシャの中で、アンマ・バガヴァンと会話していたら

 以下のような情景が出て来ました。

 インドの、(キャンパス3の近くの)河原で、

 私の入った棺をバガヴァンが燃やしていました。

 バガヴァンは汗だくになりながら、火に薪をくべていました。

 一方、アンマは葬式の進行役をしていました。


 これは、「黙想」の時に、私が取り上げた、

 自分の持っている「信念体系」を燃やしてくれていたのです。

 私が幼少時から身にまとってきた、「お金への嫌悪感」

「お金では幸せになれない」

「人から認められたい⇒そのために、人より多く仕事を

 こなさなくては⇒『労働時間』と『労働の対価である賃金』の

 アンバランスな関係」等、お金のみならず、

 生まれてから今まで生きている間に身につけた、

 全ての信念体系を、丸ごと火にかけてくれていたのです。

 それは、私が約6年前に初めて参加したディクシャ会で

 見たビデオで、バガヴァンが「erase you」と

 言っていたことに通じます。eraser=消しゴムの通り、

「あなたを消します」、あなたの個体意識を消して、

 onenessの世界へ、と話されていたのです。

 当時の私は、その言葉に衝撃を受け、それ以来ずっと、

 この活動と縁がありつづけています。

 また、2010年5月&8月に参加したインドダルシャンツアー

 でのフォーマのことも思い出しました。フォーマの最後に、

「自分」を火にくべるように言われたのですが、当時の私は、

 頭では自分を燃やすことが出来ても、

 心の奥底では抵抗している自分がいました。

 それに対して、今回は何の抵抗もなく、自分の棺が

 燃やされているのを見て、受容していました。

 成長したということでしょうか?

 アンマ・バガヴァンとの会話の後、ディクシャを受けるため、

 シュリムルティのバガヴァンの足に触ったら、

 頭蓋骨の断面図で、脳の部分を燃やしてくれているような

 イメージが出て来て、燃やし切ったと思って、

 アンマの足に触ったら、脳の部分を修復して、

 外見も全く変わらないようにしてくれました。

 でも中身の信念体系は置換されています。

 

 

 

CWさん(東京2012年1月14日)

 

 昨日は、どうもありがとうございました。

 終わって、靴をはき帰り道に、自分の足がピタッと

 大地に着いている感覚を得て驚きました。

 

 最近、ずっとディクシャ関連の会に参加すると、

 ふらふら~と地に足がついていないことが多く、

 ここ最近はしっかりと地に足着けて、グランディング

 することがテーマだったのですが、必要なエネルギーを

 与えて頂けたのですね。

 松田先生の会は、とてもシンプルかつ、パワフルで、

 本当に心地のよい空間で、久しぶりに心身ともに、

 リラックスできました。

 昨夜は恐ろしい程の睡魔に襲われて家に戻り、

 バタンキューでした^^また、参加させて頂きます。

 

 


YKさん (2011年12月11日於名古屋市内)

 先日は、ありがとうございました。
 3日間エネルギーが入りすぎて気分がボーとし
 少々マインドは動いているのですが、体が70%
 ばかり動きませんでした、やっとパソコンの前に
 座れます。 

 

 

 
NN
 さん (2011年12月11日於名古屋市内)
 

 

 年明け早々に松田先生のディクシャ会が決まった
 のですね! 
是非、参加させてください。

 昨日は、チャクラディアーナのあたりから
 エネルギーが入ってくるような感じがし始めて
 チャンティングの後半は首から頭にかけて何か
 突き上げるような感じになっていました。
 こんなに連続してこの感覚になるのは初めて
 でした。

 アンマバガヴァンにお任せするという感覚が
 ほんの少し分かってきたような気がします。
 次回も楽しみにしています!

 

 

H.Tさん(大阪) バクティヨガの体験(2/11

 

 先日の11日の岡山での新プロセス、とてもよかったです!!

 頭の手術かどうかは、分かりませんが、色々な儀式のあいだに

 ふっと気づくと自分の頭の中がお豆腐みたいな感じがしました!

 そして、いつからか頭の中が空っぽで、なかで煙がゆっくり

 渦巻いてました!

 しばらくは、頭がからっぽな感じでよかったですね~!!

 

 

OKさん 岐阜

 

 サムスカーラ・シュッディがあんなに楽にできてしまうなんて、

 驚きと共に喜びでした。私はサムスカーラ・シュッディが怖くない!

 喜びと共にできる!しかもどんどん出てくる出てくる。
 そして、そのときのサムスカーラ・シュッディのおかげで、

 滞っていた人間関係が流れていきました。
 その後も、気づきがあり、自分のことしか興味がないということが

 わかりました。
 自分を通してしか、見ることができないというか……。
 これに気づいたときは喜びでした。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

AKさん  北海道

 

 先月は怒濤の学び強化月間でした。

 友達のM君がトレーナーコースに行って帰ってきたり。

 何度も松田先生のもとにディクシャ会やお話を聞きに伺ったり。

 他の瞑想の伝授に出かけたり。

 

 トレーナーコース帰りのM君 が「インドのダーサジたちが、

 『皆さんは全て、愛を求めているだけです。たとえ、

 目覚め(悟り)を求めていても、神実現を求めていても、

 結局のところ、さらなる愛を求めているだけです。』

 っていってたよー。」と教えてくれました。

 

 

 月末、最後に松田先生のもとを訪れた時、

 まさに松田マジックとしか言いようのない 大恩寵、

 大解放に見舞われました。

 

 何をお話しされたか、どこがどうなってそうなったのか、

 よく思い出せないですが・・・。

 とにかく、こどもみたいに嗚咽しながら何か話していたと思います。

 

 はっきりと思いだせるのは、 自分はある意味での

 アイデンティティクライシスを心の奥底でのぞんでいたということ。

 そして、その通りの出来事が起きたということ。

 

 どのくらい体験しつくせたのか、

 あまり自信はないのですが・・・。

 

 いっぺんに3つ位、解放が起きていました。

 

 それぞれが出たり入ったり、ぐるぐるとポジションを

 入れ替えながら内側に立ち現われていたように思います。

 

 実のところ、他の瞑想の伝授を受けて、

 私は心底がっかりしてしまったのです。

 

 だって自分が今まで親しんできたOUの瞑想法やワークや、

 コミュニケーション、理解の方が、はるかに優れているし

 パワフルだということがよく理解できたと言いますか・・・。

 

 そして、私の方がもっとよく知っているし、自分の理解の深さ、

 すごさがみんなに表現できない、もっと、もっと、

 優れたワークがあって、ここにいるみんな、ずっと早道できるのに、

 それが知れ渡らないなんて、どういうことか?

 

 という強いフラストレーションを抱えることになりました。

 

 でも実際、伝授の最中、まさにハートが開き、そのスペースには

 そもそも、求める全てがあったのだ、外側に探しに行かなくても

 全く、全てここにあった。

 

 そんな理解を得、感謝と喜びにうち震えたりしてます。

 

 探しに出かけている私と、そもそもそこにある全てが、

 同時に私のハートにある。

 そしてそのすべてというのはアンマ・バガバンだということが

 はっきり体験として起きているわけです。

 それを半ばヴィジョンのように理解しました。

 

 ですから、その瞑想での恩寵もしっかりと受け取っているわけです。

 

 でもすぐに、アーナンダ曼陀羅とかの体験の方が全然すごかったな、

 とかコメントが駆け巡ります。

 

 これは・・・・・・

 気にはしないけれど、ちょっと、自分ではどうにもできないなーと

 思って、それこそ、次の日に松田先生に会いに行くのが

 とても楽しみになってしまいました。

 

 もう、心躍って。

 

 子供の参観日だったけれど、なんとか都合付けて。

 

 そんなに楽しみにして出かけたのに、当の先生は、

 あなたのことなんか、ほとんど印象に残っていませんよ。

 みたいなことをのっけからおっしゃって。

 

 がつーん、と。

 

 内側ではガラガラと音を立てて自我が崩壊していくのが

 手に取るようによくわかって。

 だって。。。。。

 

 でも、それこそを求めていたのは自分でも知っていたので、

 激しく揺さぶられている内側はさておき、

 そのままお話しを聞き続けていたら、突如、涙が出てきて 

 とまらなくなってしまっていました。

 

 なにか、先生が話して、同席されている皆さんがお返事していて、

 自分の中では激しくチャージが浮上して、少し味わうとまた次、     あ!!っと思う間もなく

 また別のチャージ、そんな感じたったです。

 

 で、浮上してきたチャージとは、どんなものだったかというと。

 

 父親との関係:もっと、受け入れてほしい。というか、

 単純に いっぱいほめて、自分が思っているのと同じくらい

 賞賛してほしい。

 

 グルとの関係:グルに裏切られたと強く感じている。

 

 自分の修めてきたものをすべて否定されて打ちひしがれている。

 

 なので、過去何度も色々なグルの元をさすらい歩いた。

 

 でも、その限界と虚しさも感じている。

 これではダメだという強い否定感。

 

 根源の分離感:光から離れ旅を選んだが、

 ものすごく大元の光が恋しく、懐かしい。

 自分というものの孤独感。寂しさ。

 

 こんなかんじだったと思います。

 

 後から実感として湧いてきたのですが、

 この時浮上してきたチャージというのは、

 人類共通のチャージ、と呼べるものも多く含まれていたように

 思います。

 

 ひとしきり、体験がおさまってきたと思うころに、

 先生の話の振りが私に向けられ、それは、

 

 「だから、あなたが感じてきた物足りなさも、

 私にはよくわかります。」というフレーズだったでしょうか?

 

 とたんにまた、涙腺大爆発です。。

 

 そして、他の瞑想の伝授のとき、バガバンが全てで、

 そもそも、ハートにはバガバンがいた、という体験があった、

 というシェアを、嗚咽しながらしました。

 

 実際、伝授のときには光輪がはっきりと姿を現し、

 それとともにものすごく、バガバンが恋しくなっていったのです。

 

 ” それ ”の良さを改めて知るために、あえて違う体験が必要だ。

 その懐の深さに脱帽です。

 

 

 これで松田先生がいう

 「全てバガバンがやるんです」

 のニュアンスが少しつかめた気がしました。

 

 その後もいろいろお話を聞かせていただき、

 ディクシャというものを知ってから初めて、

 バガバンが一体何であるか理解し、それを私はどのように

 体験してきたのか、ということがしっかりとつながり、

 私として、ディバインとはアンマ・バガバンだし、

 働くのは私ではないし、それは私の中にあり、かつ、

 世界を構成する大元のすべてだ、という理解がしっかりと

 根付くことができました。

 

 以前から、全ての出来事の裏にはまるで精妙な白い光の

 点描画のようなものが働いているんだ、ということを思っていて、

 その光が、一体何を意味するものなのかが先生とお話しさせて

 いただくことによって、自分の中にしっかりと定まったのです。

 

 そして、自分の中にすでにそれがあったのです。

 

 あとは、どんどん自分でやるところを捨てて行くんだな、

 と思います。

 

 もうとにかく、ハートに戻ってくればそこにバガバンがいる。

 いかに早くハートに戻るか。

 

 私がすることなんて、ないんです。

 みたいなことを理解したのです。

 

 

 そう、くっきりと理解すると、

 いかに、自分でやりたがっていることか!!

 何をしていても、常に自分です。

 

 で、もう、さっさと自分を捨てたいです。完全放棄したいのです。

 

 でもこれがまた、パラドックスで、自分を捨てたいのは

 自分なんだから、自分がどうやって自分を捨てんのよ?

 ってことになってしまいます。

 

 だから、仕方ないのであきらめますが、すると何とも言えない

 みじめさのようなものが込み上げてきます。

 

 ときに、

 「 あぁー!こんなに自分でやらなくていいのかー!!」

 というような瞬間にも恵まれますが。

 

 「・・・だから、みんなインドなのか・・・」

 

 と、みなさんのインド行きへの情熱を少し理解した気に

 なってみたりもします。

 

 仕方ないので、内側のみじめさに留まります。すると・・・

 

 ”私は私としてもっともっと、満足を受け取ればよい  ”

 

 という答えがやってきました。

 

 涙 です。

 

 私を捨てる前に、もっともっと、私として満足すればいいじゃない?

 ということです。何が問題か?それの? というような感じです。

 

 私は愛されてる私をもっと経験したい。実感として体験したい。

 物欲も含めて、自分の感じているだけ、満足をうちも外も味わいたい。

 

 あぁ。

 

 こんなにも私は私として愛を求めている。

 

 そんな気付きがやってきました。

 

 これからどう進むのかはわかりません。

 

 

 でも、とにかくバガバンがハートにずっといるのを知りました。

 

 

 そして、解放の最中にもっともっと、あなたの日常を大切にしなさい、  というインスピレーションも頂きました。

 

 やりたいこと、知りたいことも山のようにありますが、

 私は私として、これからもっとらくに、

 過ごしていけそうな気がします。

 

 先生、ありがとうございました。

 

 

 先生は「バガバンがやってるんですから」と、

 きっとおっしゃるでしょうね。

 

 

 これだけパワフルにバガバンの働きを感じさせていただけたことを

 ありがたく思います。

 

 ありがとうございました。

 

 

KAさん(ギバー) 5月21-23日、札幌

 

 今日は松田先生のアウエイク二ングコースの

 2日目だけ参加してきました。

 

 ” 全肯定 ”

 

 これが松田先生のすごさかな~?なんて思います。

 

 全て、あらゆる全てにpresenceの顕現を見、受け入れる、

 そして、おしみなく賛辞の言葉をお話しになられる、

 そんなスタンスこそが、救済を産み出すのだな、

 と、いたく感じ入りました。

 

 そこには、 ” 松田先生 ” なる個人は無いのです。

 

 そのくらい、何をお話しされていても、

 その向こう側の智慧を感じさせられました。

 

 一見、普通すぎるくらい、普通のたたずまいなんですけれども。

 

 実は、今日、コースに参加するにあたり、myディバインより

 

  「 菩薩行 」

 

 というお題が出されました。 昨夜、急に。しかもトイレの中で。

 

 用を足し終えて、外に出ようとすると、突然、右耳の後ろ辺りから、

 

 「 菩薩行 」

 

 と、言葉が聞こえたのです。

 

 ???????????

 

  なんじゃらほい?!

 

 さっそくPCでいろいろ調べましたが、どれもいまいち。

 わかるような、わからないような。

 

 ただなんとなく、今生で、しっかり菩薩行を満行したいなと、

 強く思ったので、満行に必要なもの全て、

 しっかりいただけるようにお願することにしました。

 

 そして、松田先生のOAC2日目に参加したわけです。

 

 珍しく、パドカディクシャのときも、

 菩薩行に必要なすべて、全てのツール、パワー、

 智慧、胆力などをきっちりお願しました。

 

 こんなこともめずらしいのですが・・・・・

 そもそも、菩薩行って、何よ?!

 ってところがはっきりしないままに。(--;)

 

 ところが、コースを終え、おほめの言葉も頂き、(やったーー!!!)

 帰宅してふと、先生のことが思い出されたのですが、

 その映像というのが。

 

 やはり、松田先生の中身が空っぽで、

 松田先生を突き抜けるような形で白い、

 光の道がこちらへ続いています。

 

 先生に向き合っている私も、空っぽで、

 同じ、光の道がつきぬけています。

 

 で、そこには個人の存在はない、のです。

 

 ただ、光の道が、たった一本の同じ光の道が

 お互いを突き抜けているだけです。

 

 あぁ~!!そういうことか!!菩薩行!!

 

 と、なぜかここでものすごく納得。

 

 松田先生が何か語られたとしても、

 それを私が何かの理解として受け取ったとしても、

 それは、

 

 ” 個人の何か ”

 

 と言えるようなものは全くなくて、

 いうなれば、大元の存在から借りてきた智慧を、

 じゅんぐりじゅんぐりに渡していく、ただそれだけです。

 

 所有できるものなど何一つないということ、

 所有する個人など、どこにも存在しないこと。

 

 きっと、わたしも、先生と出会ったことで受け取ったものは、

 必ず、次の誰かに渡していくはずです。

 

 こんなふうにして、光はめぐるんです。

 

 という行為の循環こそが菩薩行。

 

 と、言えるような気がしました。

 

 

 

 先生、お会いできて、本当にうれしかったです。

 

 ありがとうございました。

 

 

Hさん 岡山合宿報告 2011,2/11〜16

 

 デバイン(高度な意識存在、守護神・守護霊、天使など)

 との繋がりを深めて

 

 ① サムスカーラシュッディでの恩寵

 2・3いやな場面を思い出し、その時の感情を再体験すると

 自然と消えていった。

 

 その後、黄金色に輝く仏様が空中から海の上にゆっくりと降り、

 ハートに収まった。

 

 何とも気持ちいい。以前はハートが開き、

 そこにデバインが現れたのだが、今回は降臨するという映像だった。

 

 「自分の潜在意識にある神のイメージか?この仏様は誰だろう?」

 などとマインドが働いたため残念ながら至福には至らなかった。

 (帰宅後、判明した。)

 

 松田先生に伺うと、スーパーステイトという境地で、

 悟りとは異なるそうだ。だが、今後充分に体験したいものだ。

 

 ② バクティヨガ2での恩寵

 

 前頭部にエネルギーが入り、体が暑い。

 外は雪にも関わらず、儀式の間、Tシャツですごす。

 デバインが働きかけてくださっているようだ。

 道友はこの会場の等身大のシュムルティの上部にオーブ

 もしくはゴールデンボールが見えるという。

 

 ③ 1階瞑想ルームでの恩寵

 

 「バガバンからの祝福を受け、デバインで満たされている」

 と聞き、数夜,床を取らせていただく。

 最後の夜,風邪のなごりで咳き込み眠れなかった。

 

 アンマにお願いしてみると、のどに清浄な気が流れうそのように

 痰のからみが減り、そのまま寝入ってしまった。

 さらに翌朝目が覚め、布団の中で喉ではなく

 ハートでムーラマントラを唱えていると、“コロっ”と無心になる。

 

 徐々にではなく急にである。「これはどういうことか?」と

 マインドが働くと元に戻る。

 

 これを何度か繰り返す。以前も経験したことだが、

 “何度も続けて”は初めてである。

 

 松田先生に告げると「慣れてくれば、徐々に無心状態に

 入れるそうだ。」

 

 ④ 帰宅後の恩寵

 

 ・合宿中のサムスカーラシュッディであまりいやなことが

 出てこなかったので「もう浄化するものはないか?」と

 たかをくくっていたら、夢でどっと出てきた。

 ありがたく、掃除していただいた。

 

 ・この1年仕事上の望みがあったのだが、アンマ・バガバンも

 かなえてくれず、半ばあきらめかけていた。しかし、休み中の私に

 連絡が入り「願望成就」 意外と、うれしいというより、

 「仕事に思い残すことなし、これでデバインの器になることに

 専念できる」と安堵する。

 

 ・ここ数年、人と話すのが億劫になっていたが、家族と何故か

 「守護していただいてる存在」の話になる。デバインに尋ねると、

 家族のデバインも教えてくれた。家族とこの手の話ができるのは

 うれしいものだ。

 

 妻はディクシャはしてないが、 以前からよくUFOを見たり、

 写真を撮ると自宅内でもオーブが写る。

 

 ・食と酒がすすまない。

  楽しみが減るのは困るが、飲食費がかからないのはありがたい。

 

 火照る。恩寵のおかげで細胞が活性化したのかも知れない。

 

 現時点でのまとめ

 

 上記のような体験は、ディクシャと出合った数年前から起きている。

 特にここ1年は、アンマ・バガバンに願いを頻繁にかなえて

 いただいている。

 

 自分ではどうしようもない願いがかなうと、アンマ・バガバンが

 自分のデバインになっていただいていることを確信できた。

 

 さらに、アンマ・バガバンは、古くからの自分の守護神・守護霊・

 天使など高度な意識存存在が誰なのか示唆し、その繋がりを

 深めさせてくれているようだ。

 

 長い間、人生の目的は快楽状態を極力長引かせることであったが、

 すっかり変わってしまった。

 

 当面の目標は、恩寵が入りやすくするために、

 無心状態を自在にひきおこせるようになることだと思う。

 

 これも努力するマインドが邪魔するため、デバインに全て

 託すしかないのだが。

 

 「私・エゴが消え、デバインの器になれる」その日がいつか訪れること  を期待して。

 

  御礼

 

 インド行きをスケジュールと体調の都合で断念した後、

 そこに岡山合宿のちらしに目がとまりました。これも

 デバインの計らいでしょう。

 松田先生、お世話いただいた皆様、デバインが働きやすい場を

 一緒に作ってくれた参加者の方々に、ハートからの感謝をささげます。

 

 

T.Iさん(岡山合宿2/11~15)

 

 今回、合宿というものに初参加させていただき、合宿初日、

 初めて火の儀式、アルティーを見てておごそか・・とか、

 エネルギーが・・・とか言う前に、この儀式を執り行うために

 揃えなければならない品々が本当に特殊であり、数も多いのに驚き、

 準備される方が、とても大変だろうなと思いました。

 

 主催してくださった、松田先生、小舟さん、山東さん、

 皆様、有難うございました。

 

 福岡では、会場の問題もあり(火を使うことができる広い会場が

 きっとない・・)、

 

 儀式をちゃんとやっていないのではないかと思います。

 (話が入ってこないので・・)

 

 そういう意味でも、合宿に参加できたのは、大変幸運でした。

 有難うございます。

 

 私は元来、エネルギーを感じるなどとった体験を持っていないの

 ですが、合宿の前日から初日の夜まで、体調が絶不調でした。

 

 しかし、5日間の合宿期間中に自然と治っていました。

 とても不思議でした。

 

 自分では感知出来ないけれど、きっと大きなエネルギーを

 受けていたのだろうと思います。

 

 3度の食事も小舟さんたちに良くして頂き、大変感謝です。

 

 皆様との食事のときは、皆様とはじめから家族だったような

 気がしてました。

 

 よく笑いました。とても楽しかったです。感謝です。

 

 合宿から帰って、コーヒーがあまり飲めなくなりました。

 

 最近はすっかり紅茶党になっています。

 

 それと合宿期間中が菜食だったせいか、お肉が食べれなくなって

 しまいました。

 

 合宿から帰ってきた翌日、たまたま親族の集まりがあり、

 あるお店に行ったのですが、肉料理しかなくて、しかたなく

 ハンバーグを少し頂いたところ、翌日しっかりおなかを

 下していました。(汚くてすみません)

 

 合宿の5日間は、体にも変化があったんだなと思います。

 不思議・・・でも感謝です。

 

 機会があったらまた、是非参加させもらいたいです。

 

 まだまだきっといっぱいあるのでしょうが、頭がぼ~ツとして

 思い出せません。

 

 皆様、本当にお世話になりました。

 

 今後とも宜しくお願いいたします。

 

 

MHさん (札幌2011年6月)

 

 前回お話したかもしれませんが、20年ほど前のことです。

 

 本格的なYOGAを10年間ほど毎朝、夜明け頃から2時間近く

 練習した結果、見るものすべて美しく、食べるものも極上に美味しく、

 当たるそよ風は神様からの愛撫として感じられ、一呼吸ごとに意識は

 天にも昇るような気持ちに浸るようになりました。

 

 この世の雑事以外、五感上は<この世こそ天国>という感覚でした。

 

 しかし、ある時からこのまま昇りつめると、世の中と離れてしまう

 のかもしれないという妙な恐れが芽生えて、それ以上進むのを

 コントロールするようになりました。

 

 世の中はあまりに魅力的過ぎます。

 

 そんな頃、木から落ちたり、仕事などで頭を打ったりするうちに、

 頸椎が2個つぶれ、頭や肩、腕に激痛が走り、夜も寝れない状態に

 なりました。

 

 当然YOGAもしっかり練習できず、効かない鎮痛剤ではなく飲酒で

 麻痺すると眠れるのがわかり、YOGAをはじめると同時に自然に

 やめていた酒に浸るようになりました。

 

 そのうち、痛みがやめばYOGAも再開でき、(あれほどの健康体に

 なったのだから)いつでも体は戻れると思っていました。

 

 が、そんな生活を続けるうちに現在の医学では治療困難な深刻な

 病気にかかってしまったのです。

 

 前回、松田先生にご指導頂だいた時は、バガバンが祭られている

 あの空間で、人のオーラが見えたり、神聖な光なども状態が

 良かった時より、数多く体験させていただきました。

 

 (実をいえばあの時まで全くバガバンの存在すら知らなかったのです)

 

 三日目の終了時には、気がつけば五感は戻り、見るもの、食べるもの、

 感じるすべてが、自然=神の贈り物という、

 <その状態にならなければ決して思い出せない>感覚を自分の体で

 再び味わうことができました。

 

 また、その翌日、自宅で行ったYOGAは、本格的に練習していた頃より、 ある意味ではさらに深い状態にまで入り、最後のサバーサナでは、

 呼吸も(驚くことに心臓の動き)までもほとんど停止状態になり、

 深い瞑想状態を経験することができました。(右腕が酷使状態にあり

 悲鳴をあげていることに気がつき、それ以上は進めませんでしたが。)

 

 さて、病気の影響で深く眠れないこともあり、日が経つにつれ、

 感覚もにぶり、YOGAの練習も深い状態になったのはそれっきりでした。

 

 という訳で、今回の松田先生の来札を心待ちにしておりました。

 

 一日目から強烈でした。あの空間に座っているだけで、

 (体験したことはないのですが)体が金縛りにあうような感覚と同時に、 体の中を不思議なものがうごめき、まるですべての細胞を変化させていく ような、、、、表現するのは不可能な感覚が何度も何度も突き上げてきま した。

 

 気がつけば、昼食時には、前回は三日間で体験でき、

 YOGAでとどまっていたこともある<その状態にならなければ

 決して思い出せない>素晴らしい感覚に浸っていたのです。

 

 <コントロールする自分>がいなければ、あやうくすべての人、

 すべてのものは<神>という状態になり、すべてに祈りを捧げ、

 歓喜の涙を流していたかもしれません(笑)

 

 そういう状態までになる<自分>を見たくないのです。

 変に自分をコントロールしようとするこのことが大きな

 障害なのかもしれません。

 

 何度か体験している、何色もの光が形や大きさを変えてうごめく

 神秘体験、、、それに対して

 <どういう意味なのか?何なのか?>ばかり今まで考えてきました。

 

 そのことに対するごくごく単純な回答!直感が感じるようにそれらを

 <DEVINE>として、何かを語りかけてみるしか答えは無いという

 大きな<気づき>がありました。

 

 二日目は期待が大きすぎたのかもしれませんが、一日目以上のことは

 ありませんでした。

 

 が今回は松田先生が帰られた後も、一日目に感じた<波動>のような

 ものが、忘れた頃来てくれています。

 

 

 
シュリムルティ
シュリムルティ