体験談集4

 

SMさん  長野  2007.8(合宿2泊)

8月1日 頭から体まで温かくなった。横になっているとき、お香とは違うハーブ又は草の香りがずっとしていた。野原で寝転んでいるような気持ちよさだった。

8月2日 全体に優しいディクシャだった。四人目の方のディクシャでは聖母のような優しさを感じた。次は松田先生、今日の松田先生は風邪のように軽い、気持ちいい、と思っていたら、思い違いで次に本当の松田先生のディクシャだった。
午後、サムスカーラ・シュッディで、突然涙におそわれた。その後セッションの中でますます胸が辛くなってきた。チャクラ瞑想を終えたとき、急に吹っ切れた感じがした。こういうやり方は二度目になる。少しわかってきて嬉しい。

8月3日 Yさんのお話がとてもおもしろかった。現実世界の中で成果をだしていく。これこそ意味のあることではないかと思う。

風の吹き抜ける大きなお宅での合宿は、大家族の一員になったように心地よく、解放感あるものだった。Oさん、お姉さん、スタッフの方々のお働きにはつくづく頭の下がる思いだった。特にOさんは超人ではないかと思う。カルキとの関係が密にになれが、あそこまでできるようになるのだろうか? それともOさんだからできることなのか? 驚きと疑問と感謝の三日間だった。皆様、ほんとうにありがとうございました。


KAさん  長野合宿 2007.8

モクシャのセッションのとき、前世で自分が殺されそうになった場面がでてきました。
また、分杭峠に行った効果もあるのでしょうか、前世からの魂の疲れや昔からの心のゴミが出てきたようでした。
二日目にはよく映像が出てきました。二泊三日の参加だったので、浄化の途中で終わってしまった感じでした。食事の支度等、ご尽力くださった皆様に感謝しています。

 
TSさん  長野合宿 2007.8

疲れ気味だったのですが、すっかり回復しました。とてもリラックスできました。
食事がとても美味しかったです。とても落ち着ける空間を提供してくださり、ありがとうございました。


STさん  長野合宿  2007.8

とてもよい環境で9泊10日の合宿に参加させていただきました。
先生、OさんとOさんのお姉さん、Kさん、には大変お世話になりました。
ディクシャやサムスカーラ・シュッディの後は、宇宙に溶け込むような、宇宙の存在に近づくというような感覚が味わえるような気がします。
合宿の生活では、大勢の人の中で人間関係のバランスを取ることを少し学んだように思います。ありがとうございました。


AMさん  長野合宿  2007.8

自然に囲まれた素晴らしい環境の中で、落ち着いてディクシャを受けることができました。そのせいか、ディクシャもすっとエネルギーが入ってくる気がしました。
頭の中がスローダウンしているようで、あまり余計なことを考えずにいられました。
また、サムスカーラ・シュッディもようやく要領を覚えました。

毎日の食事はいつも違ったもので、とても美味しく、3kgも体重が増えました。素晴らしい環境の中で、まるで田舎の自分の家にいるようにくつろいで過ごすことができました。分杭峠やピラミッドにも出かけて昼食をとってディクシャを受けましたが、ピクニック気分で楽しかったです。お蔭様でだいぶ元気になり、エネルギーも溜まったようです。二泊三日のつもりで参加して、延泊延泊でお世話になりました。ありがとうございました。
 
 

KSさん  2007.5合宿  新潟

大変お世話になりました。
私の人生の歩むべき本当の道へと導いてくださいました事を心から感謝しております。
5月6日帰りの新幹線の中で、私は幸せをかみしめると同時に、既に次の闇夜へと向かっている事を実感していました。
6日の朝に体験をお話した後、松田先生に「すっきりしましたか?」と聞かれたときひっかかったのです。まだ「すっきり」はしていない・・と。
最後に松田先生がホームページに載せたいから体験を書いてくださいと仰ったので、私は、あぁ、このプロセスをまとめてバガヴァンに提出したら次のステップへ行こう。と思いました。
翌日、会社で仕事を始めると、自分のこれからのこと、導いてくださっている先生方のことなどがいっぺんに見えた気がしました。そのときは、こんな事考えていいの?と言う風に思って恐くなりました。
そしてその事はその日のうちにすぐ忘れてしまいました。恐い!と思うといつも消えてしまいます。
それから、毎日、合宿で体験した様々な事に関して、次々と湧いて来てひとつひとつ納得していきました。ディクシャは続いていました。一段一段階段を昇って視界が開けていくように。

1週間経っても2週間が過ぎても、「このプロセス」というまとまりがつかず、体験が書けません。合宿の4日間をそのまま全て書こうと思っていたのですが、何故だか分かりませんが、書こうとしても放心状態になるのです。
昔から、私は何か一生懸命考えて行動しようとするとプレゼンスに「何で私を見ないの!」と引きずりおろされるのです。そのときも、どうしても行動出来ず、放心状態になり、何で出来ないんだろう、ひどい怠け者なのかとさんざん悩んできました。
でもそれは、本当に私のしたい事ではなかったからだと分かりました。
体験が書けないのは、そこまでではありませんが、何だか書けないから仕方がありません。

昨年の11月に松田先生に初めてお会いしてそこから一つの小さなプロセスが始まったように思っていましたが、実は生まれる前から始まっていたようです。
合宿の一日目の夜、一晩中私は光の洪水の中にいて一睡もできませんでした。様々な光の中、壁の上の方にずっとプレゼンスがいてくださいました。そしてそのすぐ隣に「入り口」もずっと見えていました。

何の苦労もしたことも無かった私は、子どもの頃から「本当の幸せってどういうものだろう?」といつも不思議に思ってきました。唯一2001年という年は、私にとって最もつらい出来事を経験した1年でした。そのとき支えてくれた親友にその年の誕生日を祝ってもらった後、部屋でひとりで、幸せってこういうものかも・・と感じていたとき、部屋の上の方に、「光の道」という言葉と共に1本のまっすぐなこの世のものではない美しい光り輝く道が見えたのです。

当時私は、精神のことなど全く興味がなかったので、「光の道??なにそれ?なんだか宗教っぽい・・」と、全く訳が分からずにいました。
時が経って徐々にそういう方向に進んできて、漠然と私の本当の道は、その光の道なんだと思ってきました。
私はこれからひたすらプレゼンスに向き合って問いかけてみたいと思います。そして完全にゆだねられたとき、「入り口」へ入り、「光の道」を歩んで行けるのではないかと思います。
アンマ・バガヴァンがその入り口を見せてくださいました。私はそこに入ります。

合宿のとき見たその「入り口」は、ホール状になっていて、その中は完全に美しい光しかありませんでした。
想像もつかない世界のような気がします。陰も陽も無い、汚されようも無い。

今まで「ゆだねる」などもそうですが、本当の言葉の意味を理解して使っていませんでした。光の道が私の本当の道と思ってきたけれど、それって実はもの凄い事だと思います!!
プレゼンスは全て知っていてそれが本当の私であって、つまり真我であってそこへ行こうというのですから、私にとってもう今までの概念を覆す想像を絶することをしようとしている訳です!

でも、もう向かっています。
魂とはどういうものなのか、光と闇が存在するこの世界で愛が勝利したら闇の部分はどうなってしまうんだろう・・など知りたい事がたくさんありますが、プレゼンスに追求して実感して体感したいのです。

Sさんが私にいまだかつてない安心感を与えてくださいました。
私はたくさんの光に助けられて、宝物がたくさんあります。
本当に心から感謝を捧げます。有難うございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
 
 
FNさん  妙高合宿  2007.2.13

ディクシャを受けはじめて丁度一年になります。
1日目
とても気持ちの良い一日でした。
体操は、6コーシャプログラム受講時に教えていただいており、既に知っていましたが、今回はじめて身体が勝手に動くという体験がありました。
アーナンダ・マンダラは終わったときは、のどかにゆったりして、よく声が出るように感じました。ディクシャでは、最初の人が来る前から頭に触れられているような感じがしていました。

2日目
モクシャ中ずっと問題のある姉のご主人の家のご先祖様にお出でいただいていたら、とても身体が重くなったのですが、アンマとバガヴァンにお願いしたら軽くなり感謝しました。
サムスカーラ・シュッディでは何もでてこず、アンマ・バガヴァンにお願いしたり思い出そうとしたりしていると、二度、自分がつけているアンマ・バガヴァンのペンダントヘッドの写真映像が自分の左側に丸く出てきては大きくなって自分の方へやってくることの繰り返しがあったあと、ハートチャクラのあたりが暖かくなり、少し光りました。これがプレゼンスを示しているのかと気づくまで時間が少しかかりました。
チャクラ瞑想は一番上のチャクラを紫と金の色で感じました。ディクシャ中は私の脇に誰かがずっと立っているようでした。途中からもう1人誰かが私の隣に座って腕にその手をのせているように感じました。

3日目
段々慣れてきて、イメージをしてから体操をすると身体は自動で動くことがあると分かりました。
呼吸観察をしているとき、心が騒がしかったのですが、思いがあちこちと動く様子がよく分かりました。
サムスカーラ・シュッディの最後に先生が「今の自分に欲しいものを願い、感謝をしてください」とおっしゃったとき、今朝見た快晴の雪山の美しさに圧倒されたことを思い出し、今までのすべてを導いてくださったことに感謝をするとともに、この美しい自然を作ってくださったこと、神のお創りになったすべてを絶賛しました。すると、私の下唇が笑顔をつくるように動いたのです。勝手に自分の顔が動いたことに驚きました。

松田先生とスタッフの皆様に感謝します。
帰宅後、ちゃんと起きている状態で居る時、先生やスタッフの皆さんが何かをしていらっしゃる様子が何度か見えました。美しい色を時々感じます。
以前は雲に頭をつっこんでいるようなもやもやした感じだったのですが、自分という感覚がはっきりして、少しは考えるということができるようになりました。

素直になりました。こだわりが取れたようで、オープンに話をしています。
 
 
TKさん 妙高(合宿)  2007.2.12

3日間、この場にいて、とても癒されました。
プレゼンスのディクシャで、又はっきりプレゼンスを実感することができ、ハートに安心感を感じられます。
サムスカーラ・シュッディでは、自分の醜い部分に気づいていたのに、いろいろ言い訳をしていることに気づきました。これからは言い訳しないで見続けていこうと思います。
 
 
KAさん 妙高(合宿)  2007.2.12

今回は身体の養生を主目的としていたせいか、現時点では神秘現象や特に大きな
気づきはありません。
最近、合宿型のディクシャ会では、その最中よりも、数日後に気づきがやってきたりするので、それを期待したいと思っております。

今回、合宿環境のなかで雪、光、霧を見させていただき、神の恩寵としての自然の恵みというものを実感させられている、というか宇宙の中で生かされている、ということをあらためて感じました。
3日目の朝の光とともに、壮快モードに入り、大変良好な気分で終えることができました。ありがとうございます。
 
 
MTさん 妙高(合宿)  2007.2.12

今回の合宿は今までの中で一番リラックスし、かつ密度の濃いものでした。今までに体験しなかったことがたくさんおきました。

弟一日目にスーリヤナスカーラがありましたが、その動作の意味がわかりました。以前家でOさん宅でのディクシャのエネルギーを感じて座っていたとき、ひとりでに合掌している手が動いて太陽礼拝のような動きになったことがありました。そのような経験をしている上に当日はその動きをしているとエネルギーが昇っていく感じがしました。
これは“柔軟体操”なのではなく全然ちがうものであることがよくわかりました。

また、2日目のモクシャのとき、参加前日、亡くなった義父の夢を不思議にも見ていたので、特に思いをかけました。すると横になって目を閉じているとき、最初パーっと山吹色に明るくなったと思ったら赤、橙、がもやもやと出てきて青、緑、紫などが続いて出現し虹色になりました。
今まで紫や緑色しか見えませんでしたが、とても鮮やかなたくさんの色が見えました。これで私は義父や思いをかけた人たちが光の世界へのぼっていったのだと確信できました。今まで神秘体験は多少ありましたが、意味もわからず、他の方たちの華々しい神秘体験がうらやましいときもありました。しかし今回はこの体験が直感的に私の思いが成就したことをおしえてくれました。

そのことは神秘体験のひとつの働きはことばなしに何かを納得させてくれることがわかり、それは当然一人ひとりちがうものなんだということもわかりました。また同じ日のサムスカラーシュッディではなぜか横になって目を閉じているとYさんが浮かんできました。しかし“なんで?じぶんのことじゃないの?”と思い“Yさんを”どかして別のことをしていました。

終わってからの先生やAさんやOさんの話しでやっとYさんが浮かんできた意味がわかりました。それはもう個人的なサムスカラーではなくなってきていて、ワンネスの中で他の人のサムスカラーも自動的にできるようになってきているのだそうです。サムスカラーの質がどんどん変わってきているのだそうです。

それをきいて2度目のセッションは自分のマインドを使わないであるがままにしようと思いました。すると家族が浮かんできたとたん、みぞおちのあたりとその裏側があつくなってさらに参加者のみなさんがとてもいとおしくなりなみだがでてきました。

これでほんとうにサムスカラーという名前がついているものの、内容がかわってきていることがわかりました。また、以前松田先生あてのメールを送信したとたん重い心が軽くなったり、家事をしているときにやはり重かった心が突然かるくなることがありました。でもそれはかるくなったのではなく、なったのだということがわかったし、さらに日常生活でも自動的にサムスカラーがおきていることもわかりました。それも多分私だけでなく、ディクシャを受けているいないにかかわらず大勢の人の中でそれがおきているような気がします。もうこの運動がそんなところまできているのだと思うとおどろくし、ワンネスはもうすぐ、人類の苦しみからの解放はもうすぐというきがします。

新潟の松田先生の会はKさんからおききしたのですが、ギヴァーも参加者もハイレベルだとのこと。そんな中にいられる私は感謝です。帰りの車の中で、今回のギヴァー、参加者の方たちが本当の家族のような気がしてとてもあたたかでした。そのようなわたしたちを見ていてくださる松田先生もあたたかでした。本当にありがとうございました。
 
 
RSさん 妙高(合宿)  2007.2.12

昨年末からディクシャを数回受けています。
一日目:頭がぐらぐらする感覚があり、背中の中心あたりにゆっくり渦が巻く感覚がありました。
二日目:モクシャの際、上方からの強いエネルギーが降りてくる感覚に続いて左側へ引っ張られるような気がしました。
ディクシャでは背中の渦の感覚が、よりはっきりとアナハタ・チャクラ(背面)の動き出す感覚であることが判りました。また、全身に光が流れ幸福感に満たされました。
サムスカーラ・シュッディでは根源的なものを見せて欲しいと願うと、中世~近世風のエッチングの様な絵の男性像が現れ、その意味はよく分からないものの、胸の奥に痛みがあり、それが何度か見るうちに消えていきました。
更に昔のアトランティス辺りを見たいと願うと、全身が真っ白になる感覚があり、現在に戻るとそれまで引っかかっていた父へのわだかまりが消えており、解放された気分に包まれました。
 
 
NKさん 妙高(合宿)  2007.2.12

ディクシャを受けた後、身体が勝手に揺れて、横になったが上下左右の感覚がつかめなくなっていた。
合宿は、一日だけ普通に受ける場合と違って、みんなで寝泊りするので、とても楽しかった。また来たい。

以前に比べて楽しいことが増えた気がする。正確にいうと前より楽しいと思える範囲が広がったような気がする。感謝也。
 
 
MYさん  妙高(合宿)  2007.2.12

参加できて良かったです。
はっきりしたものは分からないが、身体の中をエネルギーが動いているような気もするし、受けた後良かったように思う。

 

 

KSさん  東京

妻が私のことを「ディクシャで変わった」と言ってくれますが、確かに以前より穏やかな性格になったと思います。
今日は、ディクシャそのものではありませんが、松田先生の懇切丁寧な解説のおかげで、”受け入れること”そして「~やろう」とか「~になろう」ということの具体的な理解が得られました。
サムスカーラ・シュッディでは、前回に続いて解放感がありました。今回もありがとうございました。


YKさん  東京 '07 12 
(12月16日記分)
こんばんは。今日も素晴らしいディクシャ会でした。ありがとうございます。
今日のサムスカーラ・シュッディは強烈で、ボケ~としてたので感想文を書ける状態ではありませんでした。

何が強烈だったかと言うと…
数を数えて、アンマバカヴァンと唱えると同時に、頭だけに強烈なエネルギーが纏わりつき、意識を保とうとしても、あっと言う間に寝てしまうのです(笑) それも一瞬で落ちて、深~く寝ました。
なので二回目は、意識を保つ事にわざと(笑)トライしましたが、「ひゃっ!エネルギーが来た来た」と感じるやいなや、又一瞬で落ちてしまいました。
それでも起きた時はスッキリしてるから、ホントに面白いですね。自分ではな~んにもやる必要ないって、つくづく思います。
掃除さえ、勝手にしてくれて、何が掃除されたかを知る必要もないなんて、こんなに楽ちんなものはありません(笑)
ディクシャ会では「体験」と言う言葉を皆様言いますが、私は毎日「体験」の連続です。日常の生活そのもの…。
思う事、見るもの、聞く事、出会い、感情、あらゆる全てが「体験」だと感じます。なので、逆説的ですが、「何もないと言う体験」の意味も、分かるようになりました。

最近私は、あまりプレゼンスを意識しなくなりました。
以前は、プレゼンスプレゼンスと思っていましたが、今は、プレゼンスはいて当たり前で、プレゼンスが何でも知っているので、安心して迷うことも悩むことも出来るようになりました。すぐに道が示されますから。今はやりたい事も、行きたい所も、会いたい人も、私が考えた瞬間プレゼンスが選んで連れて行ってくれてるように感じます。

何故なら、何処に行っても、誰に会っても「あ~、これは決まっていた事なんだなぁ」と感じるからです。こんな事ばかりだと、とてもじゃないけど「自分」の意思だけではないと思わざるえないです。

私は以前から「私にハッキリ分かるように働いてくれ」と願っていたせいか、とても分かりやすく「納得」出来るものを与えてくれます。それが一番有り難く、助かってます。

広島へも行く予定でしたが、突然「山中湖に行こう」と閃き、従って素晴らしい体験がありました。そんなわけで、マインドが立てた計画は、heartにより変更を余儀なくされますが、楽しんでいます。

そう言えば…確か前回先生が、何の話しの時だか忘れましたが、確か内側の変化とかの時期の話かなぁ。
「それは私達が決めることではありません。決めるのはこちらの方々です」
と、キッパリ言い切ったのですが、その瞬間、私の中でコントロールみたいなものを手放せました(自動的に起こっただけです)
あれ以来、今の自分を受け入れる事が深まったようです。
ありがとうございます。

 (12月19日記)
前回、「プレゼンスはいて当たり前」云々等と書いて送信しましたが、とんでもない思い違いをしていた事が、今日分かりました。
「居る」のは当たり前なのですが、それを深く感じる事を忘れていたのです。今日、私は仕事を中断せざるえない位泣きました。涙が溢れて止まらなくて…
「愛したい」と言う気持ちが溢れてきました。
悲しいとかの感情はないのですが「愛したい」と言う想い、欲求だけが溢れてきて、そして私は「愛」が分らないと思った時、プレゼンスに祈りました。深く深く祈りました。すると、沢山の体験を与えてくれました。
瞑想をしていたのですが、額に青い光の玉が入ってきて「地球」のヴィジョンを見せられました。身体が熱くなり涙が出ました。
その時私は「長かった~。私はもう終わりにしていいのだ」と納得しました。「帰る場所」が分かったと言う安堵感に包まれました。
そして、これからもプレゼンスに語り続けようと、仲良くしていこうと改めて思いました。共に生きたいと強く感じました。「終わり」の意味は分かりませんが、追求する気もありません。今とても幸せです。

 
 
ETさん  東京 07.11

 
今まで10回ほど、ディクシャを受けてきていますが、生き方そのものが変化しております。
宗教嫌いで霊感の全くない自分が、今日こうして松田先生のディクシャを受けていることの意義を少しわかったような気がします。
とてもすっきり、明日からまたワクワク幸せな気持ちで生きていけることに感謝です。ありがとうございました。
 
 
SSさん  東京 07.11

 
今日は、自分の中に「自分が自分であることの恐れ、人と違うことの恐れ、自分はこういう人間だとオープンにすることへの恐れ」があることに気づかせていただきました。
松田先生の目は、笑っていらっしゃる時は優しい目ですが、スッと見られた時、目からまっすぐハートに入ってこられて、すごい目だと思いました。目でするディクシャだと思いました。



YKさん  東京 07.11

 
私は「自分」にしか興味がないとはっきり自覚する出来事がありました。それ以来「人」との比較で苦しむということがなくなりました。
今日はディクシャ中にバガヴァンのエネルギーを強く感じました。それは以前も感じたことのある松田先生のものですが、今回はその後からすぐ「現実」のバガヴァンがそこにいました。実際生きたバガヴァンがそこにいるとしか思えませんでした。
体中の細胞が何だか「喜んでいる」と感じた。
サムスカーラ・シュッディでは過去世が出て、とても胸が痛かった(ほんとの肉体の痛み)、シーンと感情が出てきたので、感じていたら胸の痛みは消えました。



AKさん  東京 07.11

 
松田先生のディクシャを初めて受けたのが2006年11月25日だったので、今日で丁度1年になります。
自分の探していたもの、自分の居場所を見つけたと直感的に思ったあの日から、ディクシャ会は勿論合宿もフルで参加してディクシャ漬け戸言ってもいいかもしれません。
おかげで大小のさまざまなサプライズ体験、気づき、バガヴァンの意図を強く感じざるを得ない出会いなど、この一年間にかなりプロセスが進んだと思います。
 
 
YKさん  東京 ‘07・10

 

今の自分の状態が、内側も外側も、とても良い感じです。

その状態にしがみついていることに気づいたとき、バガヴァンがそれを食べてくれました()

どんなことでも、何でもバガヴァンはやってくれます。私は安心してなにもしないでいていいのだと思います。

 

  

AKさん  東京 ‘07・10

 

今年初めから9月の初めくらいまで、ディクシャを受けるたびに、感動体験や気づきが継続して起こっていたのですが、今は小休止といった感じです。

その代わり、現実生活の中で自分の視点が以前と少し違ってきているようです。

最近、仕事で自分の意思や考えを誤解なく伝える、他人に伝えることの難しさを今更のように実感しており、ちょっと昔、伝わらないのはすべて相手の理解力に問題があると決めていたんだということに気づきました。

以前なら通じていたはずのことが、通じない現実にもどかしさ、苛立ちを感じますが、以前と違って、自分自身のコミュニケーションスキルに問題があるのではないかと、他人のせいにしない素直な自分がいます。

 

 

KAさん  東京 ‘07・10

 

今日も寝ていた。

午後は深い眠りに落ちた。途中で参加者の1人が話した「おみくじ」の話等で過去の記憶がよみがえりました。

終了後の質問、ありがとうございました。

 

 

SSさん  東京 ‘07・10

 

ディクシャを定期的に受けています。以前だったら自分の考えに追い詰められるような感じがしていましたが、今は考えが薄くなったようで楽です。

今日、ディクシャで胸に手を置いていただいた時は、あたたかいものが胸の前から背中に抜け、背骨に添って上と下に流れていきました。

小さな自分が、内蔵の陰とか体のあちらこちらに隠れていて、それをもう1人の私が探し出して手をつないで踊りました。中心に小さなトランポリンの台のようなものがあって、そこで跳ね上がり、回転しながら、皆、上に昇っていきました。楽しかったです。

初めて、松田先生のディクシャに参加させていただきました。暖かな雰囲気の中で楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 

 

KSさん  東京 ‘07・10

 

ディクシャを定期的に受け続けているが、普段、頭部に圧力、触られている感覚がよく生じる。また、自分がどれほどひどい人物かということに気づいた。

今まで心理的な不安や恐怖という苦しみに苦しんでいたのですが、松田先生のサムスカーラ・シュッディによって、その中心的部分が溶けていったようです。

さらに、これは自宅でやれるので、直面している悩みのうちの心理的なところは解決のめどがたったと思います。大変にありがたいことです。

また、その効果の鮮やかさや大きさに驚いています。

松田先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。

 


MYさん  東京  2007.9

 

サムスカーラシュッディを始めて受けました。

最初の自己紹介の時から訳も無く涙が出ていましたので(涙もろい方ではないのに)これは解放の準備が出来た何らかのエネルギーがスタンバっているのかなとは思っていました。

実際に始まり先生が説明をなさっている時には熟した果実が今にも木から落ちるかの如くで、横になった途端にマグマのようなエネルギーが一気に溢れ出してきてあまりにも激しく、恥ずかしいとかもすっ飛んでしまい泣くにも仰向けになっているのがしんどくて横を向く程でした。

以前にインナーチャイルドのセッションを受けた際にも同様の事がありましたが比じゃなく、驚きの体験で帰りの電車の中ではこの軽さは何!?でした() 

この10日間程の流れを思い返してみましたら、今日の会には参加するようになっていて

その為の準備をハイヤーセルフやガイド(?)がしてくれていた気がします。

本当に有り難い事だと思っています。

 

松田先生は、こんな事を言ったら失礼かもしれませんがチャーミングな方だなという印象を受けました

昨年講演を聴きにいきましたダライ・ラマ法王に似たエネルギーを感じました。

私もチベットにはご縁があるようですので、もしやお会いしていなくとも同じ時代に生きていた事があるかしら、などと思ったりしました。

ご参加の皆さんも素敵な方達ばかりで、もっとずっとお話しを聞いていたい気持ちでした。


KAさん  東京  2007.9

今回は、寝ているうちにセッションが始まり、寝ているうちにセッションが終わっていた。
午前中Divine Presenceのときに咳が出ていたので、何かが浄化されていたのだと思う。(でも、サムスカーラ・シュッディの時間には特段咳は出ていなかった)


YKさん  東京  2007.9

松田先生のお話(何もしないという話etc.)が全て腑に落ちて日常のヒントになりました。シャバアサナのとき、意識が過去に行ったり先に行ったりと「今ここ」にいないなーと痛感。しかし、それも先生のお話で分かりました。
「ここにいよう」としても無理かもなーと。「何もしない」というのが全てなのかなーと。
とても落ち着きました。ありがとうございます。


YKさん  東京  2007.8

最近、面白いなあと思った体験は「私は苦しくないんだ」と気いた瞬間幸せになったことです。
今までは「自分が苦しい」ことに気付くとその瞬間に転換が起こっていましたが、この時は「苦しくないんだ」と気付いたとき、不満が残っているそのままで幸せを感じたのでした。
以前はいつも、強烈な体験、不思議な体験というのをディクシャ中にしていましたが、最近はディクシャ中はエネルギーの流れを感じるだけで、何も起こりません。そのことに対してがっかりする気持ちがありましたが、今日は「何も起こらない」という事がなぜか喜びで嬉しいと思いました。
プレゼンスを感じるのは日常の方が多くなってきました。普段、私はびっくりするくらい小さなことでもプレゼンスを呼んだり、話しかけたりします。
それはこれからもやっていこうと思いました。


KAさん  東京  2007.8

ディクシャの後、腸に対して持っている不安が出てきました。後は寝ていました。


AKさん  東京  2007.8

プレゼンスのセッションが始まる前から、バガヴァンのエネルギーが凄い勢いで入ってきて、体が独りでに振り子のように動き続けました。
ディクシャのとき、アンマとバガヴァンがギヴァーとして直接ディクシャをしてくれましたが、特に今日はアンマのエネルギーが大きく優しく私をハグしてくれたイメージで、ハートチャクラが暑くない感謝の気持ちで涙が溢れました。


KEさん  東京  2007.8

ディクシャはたくさん受けてきています。変化としては、悩み事があっても悩まなくなり、生きることがとても軽くなりました。

今日は、先生がおっしゃっていた自分の体験に「驚く」というのが本物だということを思い出しました。私も何度か驚くような体験をし、ハプニングとして、起こるものなのだと気づいたことがありましたが、それを改めて思い出すことができたディクシャ会でした。ありがとうございました。


MNさん  東京  2007.8

ディクシャを受けるようになって、いろいろな気づきがあるのですが、現実は変わらず、現実を変えたいと思っています。

今日のサムスカーラ・シュッディで、やはり胸から喉、背中にかけてが苦しいと思いました。今日教わったサムスカーラ・シュッディを続けていき、父母への怒りから早く解放され楽になりたいです。


AMさん 東京 2007.7

ディクシャを受け続けていますが、最近は以前と違って喜怒哀楽といった感情が出やすくなりました。ただ、気持ちも安定したようでいながら、未だに上がったり下がったりを繰り返しています。

今日は安心感がありました。シャバアサナのとき、とてもだるく肉体と精神が離れたような眠っているような起きているような感じで、深く吸い込まれたような感覚を味わっていました。


MYさん  東京 2007.7

ディクシャを受けるようになって、勘が冴えているように思う。
今日は、素直になることを改めて大切だと思った。なぜなら、じたばたしたり欲をかく(マインドのいたずら)事をしない方が、よいことを思いついていたり、後で、やっぱりそうだったか失敗した、ということもなくなるから……納得させていただいた時間でした。


KTさん  東京 2007.7

今まで何回もディクシャを受けてきましたが、その場で起きていることを感じられたディクシャはありませんでした。どちらかというと受けている時は何も感じていませんでした。でも、今日のディクシャは今までと違いました。エネルギーが降りてくるのがわかりました。
そして頭のどこに働いているか、はっきり感じました。そして、言い表すことが難しい喜び、光、安心感、守られている幹事、とか、それと一番よかったのがサムスカーラ・シュッディでした。今まではいつも深刻で真剣に願わなければという感じだったのですが、あんなに面白く感じたディクシャは初めてです。


YIさん  東京  2007.7

ディクシャを受けるようになって、瞑想がしやすく、気づきが多くなっています。音楽の感じ方も変わりました。
前回の体験がとても強烈でした。前世に関するものだったのだが、前世というものもあるのかも、と不思議な気分でした。体験するということがどういうものであるかをリアルに感じることができました。
それ以後、体験するということにトライしようとしています。自分の生活の中でネガティブなことがあると、まだ充分に体験できていないなあと感じて、体験しようと思うのだけれど、なかなか前回のディクシャ会のときのようにはなりません。
でも、そのように思うことで以前とは変わってきているのだと思います。
今回は母のお腹にいたときのトラウマを感じることができました。前回もそうでしたが、自分が行っているキネシオロジーのセッションと深い関わりがあり、キネシオロジーで体験したことをさらにディクシャで深く体験できるといった感じでした。
暖かいディクシャをしていただき、ありがとうございます。


KSさん  東京  2007.7

今日は「私」というルーツの根源を見せてくださいとお願いしましたら、エレベーターで下へ降りていくのと共に根本へ行って、実はいつもそこにいるのかもしれないと思いました。
5月の合宿、そして広島へ行って以来、細胞のようなものがずっと光って見えるのですが、それとゴールデンボールがさらに急速に回転していて、とても熱くて滝のようにあふれ出しているのが見えました。
夜になると時々見えるのですが、強い赤い光も時々現れました。


HHさん 神奈川 2007.7 

先生のお話はシンプルですが深い内容でとても参考になりました。
ディクシャはパワフルで、意識が消えてなくなるような感覚がありました。


KSさん  神奈川 2007.7

今日のお話、とても分かりやすかったです。自分を受け入れるということ、自分に素直になるということがどういうことか、を交通ルールに例えられたお話でよく分かりました。
いつも心やすらぐ雰囲気で、また次回も楽しみにしています。


MKさん  神奈川  2007.7

先生のお話は、私にとってもよかったのは勿論ですが、自分の周りの方々にも聞いていただきたい内容でした。ありがとうございました。

のんびり、一日を自分のために使えて、こんな日が月に一日あって、皆さんとお会いできるといいなと思っています。


YSさん  神奈川  2007.7

お話がとても分かりやすかったです。プレゼンスのこともより理解できました。
ディクシャでは、身体が細胞レベルからほぐれていくような感覚がありました。


HK
さん  200611

2日間、ありがとうございました。
 
だいぶ正気に戻ってきたので、メールさせていただいておきます。
 
今日のサムスカーラ・シュディでは、横になった途端ぐんぐんバガヴァンが現れ、私のからだの中にすっぽり入ってしまいました。たまげているとアンマが、例の黒い箱を手に現れました。すると、バガヴァン=私の手が実際に動き、箱をあけたのです。
 
箱の中には、生まれたばかりの私を抱いた母がいました。
母は自殺しようとしていました。私はそれをくいとめるために生まれてきたのです。妊娠中もずっと流産しそうで、また父が浮気をしていて辛かったこと、しかも私が生まれたときに勝手に父が引っ越してしまっていて退院する先がなく途方にくれたことは聞いていましたが、自殺しようとしていたなんて考えたこともありませんでした。
 
母の深い絶望と悲しみ、怒りが生まれたばかりの私に伝わり、からだが引きちぎれそうに痛みました。アンマが、私の痛みが去るまでずっと、私と母を丸ごと2人、抱きしめてくれていました。
 
痛みが去るとバガヴァンがからだから出て教えてくれました。
「自殺は人間に最大のカルマをつくる。あなたはそれをくいとめた。よくやりました。あなたは今年亡くなったお母さんを救えなかったことに苦しんでいますが、お母さんは自殺をせず、天寿をまっとうしていけたのです。人一人自殺するだけで、人類のカルマがとても重いものになる。よくやってくれてありがとう」。
「あなたも前世で自殺をしている。今生も周りに何人も自殺をしている人がいるのはそのせいです。しかし、あなたの負債はこれでなくなりました」。
そして2人でにこにことして、ずっと私を抱きしめてくれました。
 
その後、昨日浄化が途中だったシーン・・・つまり死に逝く母を看取るシーンが現れましたが、ほとんど苦しくなく、母が私にとても感謝していることが伝わってきました。
 
チャクラ瞑想の後は、パラボナアンテナが3つ現れ、ピラミッドを形成し、光を受け始めました。「これで受信機ができました」とアンマがにこにこして言いました。「3次元ではこの形が必要なのです」とバガヴァンが言いました。その後、「HK」という私の名前が、掃除機のようなもので吸い取られていきました。「えっ! それじゃ私の新しい名前は!」と叫びましたが、それは示されないまま時間がきました。
 
こんな感じです。
あまりにもきてれつというかぶっとんだ内容なので、皆さんの前でお話しするのは、はばかられました。ただ、これが真実であるかどうかにかかわらず、私が深く救われたのは事実です。苦しんでいた原因さえわかっていなかった。まさに、人の力では及ばぬ部分です。
 
ディクシャを2回受けたことがありましたが、このように深い体験をさせていただいたのは、松田先生の長いご経験とご指導があってこそです。ほんとうにありがとうございました。
 そして、完全にアンマとバガヴァンに降参し、2人を信頼し、愛し、これからやっていこうと思います。インドに行けることが心から嬉しいです。
 また先生の会にも出席させてください。よろしくお願いいたします。


HH
さん  2007.5 

松田敏彦先生
26日の素晴らしいセミナーに参加させて頂き、ありがとうございます。
私が先生の目の前に座ったということもあるのかもしれませんが、私に対して語りかけて下さったことが多かったように感じました。
恐らく、求めているものが得られないという強い思いが私の中にあるのを察知し、暖かい思いで私の方に向いて下さったのかもしれません。ありがとうございます。

私は今、とても不思議な気分です。何がどの様に変わったのかはよく分からないのですが、自分をあるがままに受け入れること、バガヴァンに全てを委ねることが、セミナーを受ける前よりもずっと自然に感じています。

セミナー中のシャバァーサナでは何か特に見えたり感じたりしたわけではなく、ただ真っ暗で静かな空間に居ただけなので、手応えのようなものはありませんでした。
だから、自分の部屋で行っている瞑想と変わらないと感じていました。「それなのに何故?」という気持ちです。

しかし、その事実を素直に受け止め、アンマ・バガヴァン、松田先生、二人のギバーの方、一緒に参加して下さった方々に感謝させて戴きます。
サムスカーラ・シュッディも不思議です。2ヶ月前の心の傷がきれいに消えたことは、セミナー中に報告致しましたが、こんなに簡単に消えてしまうものなのだろうかと今でも感じています。

この傷は、瞑想の中で何回取り組んでも消えてくれなかったものなのです。しかもセミナーの中で感じた痛みは、2ヶ月前に実際に感じたものよりもずっと小さかったので、正直申して手応えがなかったのです。しかし、事実は事実です。ありがとうございます。とても心が軽くなりました。

結果は努力に対して与えられるものという考えが頭の中に残っていて、一人相撲を取って遠回りしていたのかもしれません。

また、今回参加されていた女性の方々の話からも、理屈ぬきに素直に感じ取ることがバガヴァンの恩寵を受け取るコツなのだと感じました。この堅い頭が早く柔らかくなるように祈るのみです。ありがとうございました。

また7月16日、東京で行われる先生のセミナーに参加させて頂きますので、宜しくお願致します。


YK
さん    東京  2007.5

ディクシャはたくさん受けています。
「マインドが~」とか「ジャッジが~」とか考えなくなりました。
「何もかもあって当然」って開き直ったというか、マインドやジャッジが私の中で「悪」ではなくなった。

今日は、満たされた気持ちです。
今までは満たされるとテンションが上がる~~ってカンジでしたが、今日は静かです。静かというか……何もないカンジ。
でも幸せいっぱいで。何もない? いっぱい? おもしろいです……表現って。


AK
さん   東京  2007.5

プレゼンスの目覚めのセッションで、松田先生の誘導でエレベーターが一階に着き外に出たとき、アジナ・チャクラが震えはじめ、気持ちの良い景色を見ていたら、そこはただただ心地よく、筆舌につくしがたい快感でした。
その後、先生がアナハタチャクラに触れられてからは、そこがしびれたような感覚になり、息を吸うとアナハタチャクラが山のように突起し、息を吐くともとに戻る、私と一緒にチャクラも呼吸している感じがしました。
ディクシャでは、今日は一人目がアンマ、五人目がバガヴァンでした。予想外の展開に驚きましたが、大きな愛を体感し、涙が止まりませんでした。


IYさん 平成21年5月

前回のディクシャからいろいろな体験がありました

私の知人でいつも自分の話を一方的にまくし立てるように話す人がいて、私も正直その人の話し方に辟易していました。

先日その知人と再会したとき、相変わらず彼はまくし立てるように話しかけてきました。

いつもだったら「また始まった。彼のこういうところは他の人にとっても迷惑だから、何とか変えてもらえないだろうか」とか「一刻も速くこの場から立ち去らなくては」等と思うところなのですが。
何も変わらずまくし立ててくるように話しかけてくる彼の話を聞いていて、違和感や反発なくその話を聞いているのです。
その時「彼はこういう人なのだな」で終わっているのでした。
そこに、本当は速く立ち去りたいのに立ち去らない自分に対する苛立ちも、彼に対して"こうあって欲しい"希望もありませんでした。
まくし立てられている話を聞いていただけで終わったのです。楽です。
このとき、アンマとバガヴァンに対する感謝が自然に湧いてきました。   
                   

N.Kさん  8月22日 大阪

今日も穏やかな会でしたね~。

それより何より、プレゼンスの目覚めのセッションで横になっている間、半分眠りながらも耳元でザワザワした何かを感じていて(おまけに何となく重かったので、もしかして変な物・・・??)、しかも自分がそんな風に感じていることにすら気づいていなかったのですが、先生が回ってきてハートに手を置いてくださった瞬間、その変なザワザワが消えてしまいました。

消えて初めて、なんかザワザワしていたことに気づきました。そして、起きたらスッキリ!!!

ディクシャって本当に、不思議なエネルギーだ、と思ったのと同時に、松田先生の静けさを転写されたような感じでもあり、「先生の雰囲気の素なんだ」という気もしました。

 それから、サムスカーラでは、お盆から今日まで、連日外出していて体が疲れていたことが大きく出て、すっかり熟睡してしまいました。起きた後も、ちょっとボンヤリ~。 

そして、ディクシャについての説明や、自分に素直であるかどうか?という事について、今までよりさらに理解することができました。


ディクシャは、「幸せ」を言葉では無く、体で実感できるように、脳を変えていくものであり、その幸せも、誰かと何かと比較しての「幸せ」ではなく、本当に人生は価値があるなぁ・・・と実感できるようになるもの。

そうですよね~、ディクシャで言いたい説明って、こういうことなんだぁ!とハッキリしてきました。

それと「素直かどうか」普通は自分で確かめるものではなくて、人が判断した事を基準にしている、という事実も、言葉としてはっきり認識できたように思います。


8月23日

午前中の「プレゼンスの目覚めのディクシャ」の後、横になっていると、とても気持ち良い感じがやってきました。

その時
「プレゼンスを感じたら簡単な質問をして会話をしてみてください。」
と先生が言われていたのを思い出して、この気持ち良い感じはおそらくプレゼンスだろうと思って会話に挑戦してみました。
「あなたは私のプレゼンスですか?」
(これならYESかNOで答えられるだろう・・・と予想していました)

すると、イメージの中で、いきなり 
<銀色の匙(スプーン)> 
が現れました。

「え?スプーンって何?何でスプーン?」と思ったら、
<使い方は?>
というヒントみたいな応えがあって、私がプリンかゼリーをスプーンで掬っている絵が出てきました。




「掬う物・・・すくうもの・・・救う者?」
<正解~>ということで、プレゼンスは「救う者」でした。

そうわかった瞬間、「ダジャレか!」と、私は心の中でプレゼンスに突っ込みをいれてしまいました。
大阪でのプレゼンスは一味違いました。


そんなこんなで、私のプレゼンスは銀色のスプーンで、おまけにめっちゃ関西人だということがわかりました。こんなプレゼンスを意図したつもりはないんですが・・・けれど、こんなかかわり方もいいんだなぁ・・・と、いつになく、身近な存在としてプレゼンスを感じられた瞬間でした。

そして、今日はそれを境に、なんとなく自分の中の何かが変化したような感じがします。それが具体的に何なのかは、まだよくわかりませんが。
また、次のディクシャ会を楽しみにしています。


S
さん  6月13日(金)大阪  A&B言葉の会

セミナーで私はディクシャを受けてひたすら寝ていただけでしたが、自動的にプロセスが進み、自分でも気づいていなかった子供時代の体験による条件付けに気づくことが出来ました。

気づくことにより傷が癒えて、エネルギーで満たされている感じがします。

そしてセミナーが終わり近くの商店街を歩いてたのですが、何故かフラフラと、自分の意思ではない感じで、とあるCDショップに入って行きました。

するとそこに私がここ1年ずっと探していたCDが販売されていました。



そのCDは4年前に発売されていたモノで、今は絶版になっており、ここ1年ずっと新品中古を問わずあちこちを探していましたが見つからず、ほぼ諦めていたのですが、奇跡的にすぐ近く、しかも新品で見付かったので驚いています。

商品の状態から見ると、どうも4年間ずっと店に置いてあったようで、呼び寄せられた感じです。

これもプロセスが進んで生じた恩寵?かも知れません。
不思議な体験でした。ありがとうございました。


KMさん  東京  20085  

理由や出所のわからない、背中を刀で切られるような感覚が背中を走り、それは何なのかをプレゼンスにたずねると、全面的に自分を否定された強烈な感覚でした。

それがどこから来たのかは分かりませんでしたが、今世ではない、とても根本的なところにあったもののような気がしました。

松田先生、ディクシャ会ではいつも深いところを癒していただいています。本当に感謝です。




N.K.さん (2008.4.5 大阪 )

とても素晴らしいディクシャ会でしたよね!

自分で自分の状態というのはわからないので、K さんに感じていただけた事が,とても嬉しかったです。

実は、精妙なエネルギーについては、午前中のディクシャの時、私は松田先生から強く感じたんです。

とてもパワフルでした。恐らく K さんが感じられたのと同じなんじゃないか なあと思っています。

その時のエネルギーの感じを思い出すと、胸がドキドキします。

何だか恋してるみたいな感じですね、こういうのも至福なんでしょうか?

それから、来られていた女性は、本当に精一杯なんだなあ、と感じました。中身がいっぱいだから、吐き出させてあげたいなあ、と感じていました。大きなお世話になりますね。

午後からのサムスカーラシュッディは、本当にシンプルに、かつ、丁寧に説明して戴いて、すごくわかりやすかったし、実際の体験もとても具体的な手応えがあり、家に帰ってから自分が満たされているのがハッキリわかりました。

物凄い充実感です。調子に乗って、その夜もサムスカーラシュッディをやってみました。

そしたら今日も充実感でいっぱいです。

松田先生の会は、関西ではそんなに長くないのですね? ちょっと驚きです。

私の感想なんてたいしたことないですが、多分、あそこに居た方全員、『素晴らしい会だった』と感じられてるんじゃないでしょうか? わかんないですけどね。

先生のやるサムスカーラシュッディは本当に、確実だなあという感じです。

ほんとにサッチタナンダ-になれれば楽しみです。それと、松田先生のすごく静まった雰囲気が好きです。
それからKさんからもとても穏やかで温かい感じ を受けます。また、今度を楽しみにしています。

MSさん  新潟  2月13日

今朝はこちらは吹雪でした。
一冬に一度くらいはこんな日があるのですが、仕事があって車で30分くらいの所へ向かって出かけました。

朝9:00頃だというのに、 あたりは薄暗く吹雪いています。フロントガラスが曇り、内側ではなく外側が凍っているようです。

もやもやの隙間からのぞいて、道を確認し、緊張しながら走っていました。

交通量の多いバイパスでさえこんなだなんて。


吹雪が強くなり、本当に怖くなってバガヴァンにお願いしました。
「たすけて バガヴァン!」
すると2,3分後でしょうか、雲がパカッと割れて、抜けるような青空が顔を出しました。

吹雪はおさまり、あたりは一変して明るくなりました。あの深い青はバガヴァンとしか思えません。ありがとうございます。私はなんて幸せなのか。大きな愛を感じました。


TOMATO
さん  岐阜 20081月 

 1月のデイクシャ会は、一日体験を共にする中で、初対面同士のはずが、まるで旧知の仲のような親近感が感じられ、終始、笑顔があふれ、和やかで優しい雰囲気の漂う会だったと感じています。本当に、ありがとうございます。

Bさんのおかあさんは、翌日
「遠路、行ってよかった。本当に価値ある会だ。」
と喜んでBさんにお話されたようです。

デイクシャ後は、頭がすっきりとした状態が今も続き、長年、悩みの種の不眠状態が、その日は昼夜ぐっすり眠れたようです。

また、松田先生とわたしの言葉のやり取りが、なんともおもしろく愉快で楽しい。とB家の皆さんは、感じておられるようです。

ぼけとつっこみでしょうかね。それはさておき、いよいよ本題。今を語るには、過去にさかのぼって語りたい気分なので、恐縮しますが… これまでの体験について報告します。


20063月にデイクシャを知り2年になろうとしています。これまで12回デイクシャを受け、そのうち7回が松田先生のデイクシャとなります。その年の6月に、神戸で初めて松田先生のデイクシャを受けさせていただいたのですが、そこでの出会いが、私にとって強烈な体験となり、今日に至っています。

先生の瞳は深く、吸い込まれるような感じで、私の目を離しませんでした。

多くを語らなくても、私を分かってくださる方にやっと出会えたーという喜びが湧き出て、どっぷりはまってしまいました。

その会には、誘われるまま参加したのですが、そのときの私は、2日間の体験で、自分のハートが何を感じるか、感じるままに楽しもうとだけ思っていました。

起こることすべてをそっくりそのまま感じようと、その一点だけに神経を集中させていました。

初めてのデイクシャでハグされたときに、思わず湧き出た感情があったこと。

先生の気配を感じただけで、自分の意識とは関係なく、涙がとめどなくぽたぽたと流れたこと。

横になったときに、大きな温かい手で背中を抱え込まれた感じがしたこと。

などの体験を通し、
「何かに頼りたかったんだ」
という心の奥底に眠る寂しさに気づかされ、
「この私を包んでくださる存在がある」
「一人じゃない」
ことを感じ、有り難くて有り難くて、嬉しくて嬉しくて、ただただ涙があふれたのを、今でも昨日のことのように覚えています。

喜びと快感そのものでした。
その後も、目の前で展開される悲喜こもごもの現実のなかで、のど奥にずっと不快感としてあったものが、9月に3回目のデイクシャを受けた後、まるで憑き物が落ちたかのように、明瞭感と爽快感を感じました。

そのときに、自分が歩む道を再認識することができ、今、できることを誠実に、役割を果たして生きたいと揺るぎなく思う今日につながっていると感じています。

生きているうちに、この道に出会え、お導きいただいている毎日に気づけたことを、本当に嬉しく思うと同時に「いつもいつもありがとう。」と感謝の念で一杯でいます。

ひたひたと、にんまり嬉しい気分に満たされている今、心は、静かに波打つ『静寂の湖面』といったイメージの中にいます。

200712月 松田先生のデイクシャ6回目後の体験です。

その一週間後に、気が置けない友人から、ハーブマッサージを受けているときのことです。

ほのかな明かりが灯り、心地よいBGMCD文殊菩薩的智慧)が流れる部屋で、清涼感のある生ハーブのスチームサウナに入り、体が芯から温まり心身ともにリラックスした状態で、うつ伏せになり施術を受けていました。

長い沈黙の時間が流れる中で、彼女がぽつり
「静かですね」
とつぶやきました。

私には、その言葉の意味が伝わってきたので、
「そう。今の心の中は静かなの。静寂って感じ」
と返し、なぜそのように感じたのか訊ねてみました。

すると彼女は、肩甲骨の間を施術していると、青いベールに包まれ、得も言われぬ心地よい空間に入り、そのまま肩甲骨の間に引き込まれるそうになった。

その直後、ハートチャクラが回転したのを感じて、息を呑むほど驚いてしまった。

仕事中であるので、意識を引き戻そうとして、とっさに出た言葉が
「静かですね」
であり、青いベールは、まるで青白い月明かりが射す静かな湖面のようなイメージで、静寂そのものであったと、興奮しながら話してくれました。

感覚の幅が広い彼女は、これまで施術中に憑依されることがあり、長く苦しんでいました。

初めて人から、その感覚とは真反対の心地よい静けさをもらったと、この不思議体験に驚いていました。

その日、家族全員が明るい気分で、笑いのなか一日を過ごせたと、後日話してくれました。

直接、デイクシャを受けたのは一人だったのですが、シェアしあえた二人の幸せな体験となりました。



SHさん  東京  07.1


松田先生の「がまんしてきたんでしょ。無理してきたんでしょ」という言葉をきっかけに、抑えていたものが堰を切って解放された体験でした。肉体的にも苦しくてもがいていたとき、「私はずーっと苦しかったんだ」と思いました。
でも、言葉にできないやさしい感覚、純粋な感覚に触れた瞬間があって、変化を感じています。

 

 

KAさん    東京  2007.5

Divine Presence
Work
 光の世界(表層意識)から、闇の世界(もっと奥深い意識)の入り口の映像が見えた。

Divine Prezennce
~ Deeksha
 クンダリニーが動いて、身体が震える
午後はひたすらSleeping(魂が寝ている。睡眠を欲している)


AM
さん    東京  2007.5

ディクシャを受け続けているうちに、どこかに何か少しお任せをする(プレゼンス)というようなところが出てきた。
あまりがんばらない。がんばり過ぎない。

今日は楽であってよい、楽なほうを求めてよいのだと、楽になったのを感じた。


KS
さん    東京  2007.5

プレゼンスの目覚め~ディクシャ
何もしないで居ること、ただ感じることが今の私のすることだと念を押されたようでした。
先生がハートチャクラに手をあててくださった後、ずっと温かく常にいてくれるという更なる安心感がありました。

サムスカーラ・シュッディがとても気持ちよく、免疫力が上がっていくような、身体中に時々しみわたるものを感じ深いところへ行っているような感覚がありました。


SKさん    東京  2007.5

30~40回くらいディクシャを受け続けてきています。
他の方の話を聞いていて「自分や人がやさしい」というのは思い当たる気がします。以前苦手だった人がそうでなく変わっていたりもありました。

ディクシャは気持ちよかったです。シャバアサナも終わってみると、あっという間という感じでした。


HHさん    東京  2007.5

今までに10回くらいディクシャを受けてきました。
怒ったり不安になったりすることが殆どなくなり、いつも気持ちよく生きることができるようになりました。
又、私は教師ですが、学生たちとの距離もとても近くなったように感じています。

今日のディクシャでは、頭の中が引っ張られるような感じがありました。
ディクシャの後は、意識はとてもしっかりしているのに、雑念が出ることがほとんどなくて、とても静かで気持ちの良い状態が続きました。ありがとうございます。

松田先生の話はとても分かりやすく、頭ではよく理解できました。あとは実践あるのみです。本当にありがとうございました。


YKさん   東京  2007.4

この二年間、いろいろなところでワンネス・ディクシャを定期的に受け続けています。
ディクシャによる一番大きな変化は、新しいことにチャレンジするとき「不安」が一瞬よぎるものの、口が先に「やります」「やりたいです」などと言っていることです。外側のことがものすごいスピードで変化していく!! 早い!!

今回はプレゼンスや他の人々などと私は一度も切り離されてはいなかった。プレゼンスとの分離はあり得ないんだと確信した。うれしい。
バガヴァンに話しかけたら、応えてくれてハートにセンセーションが起こった。
アッ、そもそも今朝松田先生の話を聞いているときや、自己紹介のときから、ハートが熱く、涙が止まらなかったです。


KAさん   東京  2007.4

二回目のサムスカーラ・シュッディのとき、意識の深い部分を掃除してくれたような感じがしました。


SKさん   東京  2007.4

今までに8~10回ほどワンネス・ディクシャを受けています。頭で考えがちの人なので、ディクシャエネルギーを入れると、ポジティブにしろ、ネガティブにしろ感じる幅が広がるので、自分にとってはプラスだと思います。

今までディクシャを多人数で受けるような場面でも感じたことがなかったのに、今回は個々で体験が異なりながらも、全体感、一体感を感じた。
明確な体験はあまりなかったけれど、二日間を通しては、これでいいという感じがしました。あと、自分のパターンというものが、以前と比べてかなりよく見えてきたようです。


KSさん   東京  2007.4

ワンネス・ディクシャ8回目です。
プレゼンスの目覚めのセッションで「私」は光で光が舞い踊りながらエレベーターを降りて行き、松田先生がハートチャクラに手を当ててくださったとき「静寂」を感じ、何もなくなり、まっさらになりました。ディクシャではプレゼンスの光が助けを与えてくれる神と感じると、全身からこみ上げてくるものがあるのですが、涙が出て、その後は何もない静寂そのものでした。

マインドはあることは分かるのですが、本質はただ美しいということが実感できました。

他のところでディクシャを受けたことがあまりないのですが、松田先生のディクシャ会に参加していて、確実にアンマ・バガヴァンが導いて下さっていると実感しています。心から感謝します。

 

AKさん   東京  2007.4

10回位ワンネス・ディクシャを受けてきています。
妙高合宿に参加したとき、アンマ・バガヴァンもギヴァーとしてディクシャをしてくださるという体験をして以来、お二人をとても身近に感じるようになりました。こうなるといいなあと思ったようなことが叶いやすくなったような気がします。
今日の合宿でも同様の体験をしました。
いつもはバガヴァンが先に来てくださるのですが、今日はアンマが先でした。


YMさん   東京  2007.4

深く入っている感があり、言葉ではうまく表現できないのですが、とても響くものがありました。



SNさん  遠隔ディクシャ体験

昨晩はありがとうございました。最初右目の目頭辺りを押される感じから始まり、まぶたに紫の光を感じてたのですが、何気に右目の目頭を触った時から、まぶた全体に今まで見た事がない黄金の光が広がり、曼荼羅のようになり、吸い込まれるような感じを受け、これは何なんだろうって思っているうちに、見えなくなりました。時計を見ると10分たってました。
                                      
そのまま寝てしまったのですが、昨日の痛みが殆んど残っていません。びっくりしました。今、まさに自分の本性というか、嫌な部分を含めて見つめ直しができつつあります。
有難うございました。ディクシャってすばらしいですね

 

 

 

AKさん  東京  2007.3.18

ディクシャ会参加は6,7回目です。
ひらめきが増え、仕事上プレゼンスから助けられていると感じます。
今日は(2月の合宿でも同じ体験をしたのですが)松田先生も含めて5人のディクシャギヴァーの方にディクシャしていただきましたが、6人目にバガヴァンが、7人目にアンマがディクシャをしてくれたのを感じました。至福の喜びを感じました。感謝です。

 

KSさん  東京  2007.3.18

昨年11月に初めて松田先生のディクシャを受け、素晴らしい光を見て、それから二ヶ月ほどは毎週気づきがあり、日常生活でも意識が変化しているのがわかります。
プレゼンスの目覚めのセッションを受け、ディクシャまで、今までは光を見ている自分がいて「現れて下さりありがとうございます」という感謝の気持ちでひたすら見ていました。「その光になりたい、一体化したい」と常に常に神様を感じていたいと求めていたのですが、今日はいつもの見ている感覚がなく、光の中にいるような至福感と、神様の深い愛のけなげさに切ない感じで涙が止まらず神を感じていられました。

毎月とても楽しみにしております。ありがとうございます。


MTさん  東京  2007.3.18

30回くらいディクシャ会に出ていますが、シンクロニシティを感じる回数が多くなっています。
今日は、至福感で満たされていました。
毎回、セミナーやディクシャ会に参加して良かった! と思うのですが、今日は特に強くそう思いました。
4月にインドに行く予定ですが、「インドに行く理由は何だろう」と疑問を持っていました。今日はプレゼンスからの「インドに行くのに理由は必要ないのよ」という温かい言葉がハートいっぱいに広がり嬉しくて涙があふれました。
とにかく幸福でいっぱいだったので、サムスカーラ・シュッディでは、わざわざ嫌なことを思い出すということをしたくなくて「おまかせ」していました。
とてもすっきり感がありました(笑)


GHさん  東京  2007.3.18

2年ほど前からたくさんディクシャを受けています。そのせいか感覚が随分広がっています。苦が出るときもより深い部分から出ているのがわかります。

今日のサムスカーラ・シュッディで、私は自分のプライドに関して取り扱いましたが、あまりにも強力で大変でした。ただ、こちらのサムスカーラ・シュッディがとてもよく効きましたので、消えるのも早かったと思います。
先生のエネルギーは最高でした。また次回も来させていただきたいと思います。



SKさん  東京  2007.3.18

ディクシャは2回目です。変化についてはまだよくわかりません。
今日は、自分以外の確かな存在をに気づきました。

 

KAさん  東京  2007.3.18

サンスクリット語の般若心経で涙が出た。
プレゼンスのセッションで、胸のチャクラにエネルギーがチャージされたのを感じた。
今まで、毎回眠ってしまっていて、先生の誘導を最後まで聞いたことがなくて、気づいていなかったが、今日はじめて海が見えることが分かった。首がよりかゆくなった。午後は深い眠りに落ちていた。


ISさん  相模大野  2007.2.17

今回のサムスカーラ・シュッディでは最後の2回を寝てしまわずにできました。
お願いしてみたら、過去世というようなものを見たような気がします。考えても見なかったシーンでした。もっとあのまま続けていたら、どんどん進めることができたような感じでした。


MAさん  東京  2007.2.18

ディクシャは2回目です。
初めてディクシャを受けたときは、自分の身体がないような気持ちの良い体験をしましたが、その時からもう1年以上経つせいか、ディクシャでの変化はあまり感じていませんでした。

今日は不思議で素晴らしい体験をありがとうございました。
自分が忘れていた出来事をたくさん想いだしました。
今まで悲しみや苦しみとくっつけて覚えていた想いは、実はもう浄化されていたことに気づくと同時に、封じ込めていた悲しみも一度味わってしまうと、何が辛いのか悲しいのか分からないほどすっきりしました。ありがとうございました。



KAさん  東京  2007.2.18

今日はよく眠れて、すっきりしました。左脳が完全に停止した状態で昏睡のような眠りをしていました。


MEさん  東京  2007.2.18

ディクシャは今日で2回目です。
今回たくさんいただいた体験について、うまく表現できないのですが、これからの日常生活と人間関係で実感できる、と確信しています。
宇宙からのエネルギーをいただくこと(がんばったり、無理な不必要な努力をすることなしに)、罪悪感を感じる必要がないことをとても幸せに思いました。


KMさん 東京  2007.2.18

ギヴァーです。ディクシャに出会ってから、感情を溜め込まなくなりました。
人の感情がそのまま入ってくることに気づくことがあります。また、プレゼンスとのつながりを感じることが多くなっています。

今日のプレゼンスの目覚めのセッションでは、プレゼンスのエネルギーに包まれて、とても心地のよい、安寧な気分に久しぶりに浸ることができました。とても嬉しかったです。
松田先生のディクシャを受けて、プレゼンスの愛を感じ感謝の気持ちがあふれてありがたさでいっぱいになりました。
最近、産土神社など、日本の神様にお祈りしたりもしていたのですが、ある本にあった、神への慟哭とごめんなさいが最後のサムスカーラ・シュッディで出てきました。
私の、一番認めてもらいたい人から認めてもらえないというカルマはここから来ているのかもしれないと思いました。

アンマ・バガヴァンの祝福を強く感じたディクシャ会でした。とてもありあがたかったです。本当にお世話になりました。



GSさん  東京  2007.2.18

2年位前からディクシャを定期的に受け続けています。
まだまだですが「自分」が大部無くなってきたようです。あと、感覚が敏感になって、様々なもの(光とか霊的なものとか)を見たり感じたりするようになってきました。

今日のサムスカーラ・シュッディで「自分を強く保ちたい」部分が何なのかということが見えてきました。
もう、かなり「人間」やっているのに疲れてきているので(笑)もう少し楽になりたいと思っています。これは4月にインドに行く前だから、その影響でいろいろ出てきているのだと思いたいです)
また、松田先生のディクシャ会は初めてですが、とても温かくて素晴らしかったです。また、是非参加させてください。


YH
さん 富山  2007.1

 

先日亡くなった祖母の、入院から葬儀までの話です。

祖母は(83歳)、8月の末に体調を崩しました。

きっと、それ以前から調子は悪かったのでしょうが・・・。
今まで、まじめに通っていた病院を嫌がりましたが、無理やり病院に連れて行くと、おそらく卵巣が原発の癌で転移もしており、12月まで持つかどうかと言う先生のお話でした。

祖母は神仏などに関して全く関心がない人でした。

母や私達、私達の子供はディクシャを受けて おりましたが、祖母は関心を示さないばかりか、心配をして病院に置いておいたシュルムリティーさえもカルキなんて嫌いだから持って帰ってと言うくらい、信じていませんでした。

入院して、1週間くらい過ぎた頃、いつものように病院に行くと、祖母が不思議なことを言ったそうです。

その頃は、食事が取れなくなり一気に足腰も弱り始めていたときで、一人で歩くことはできなかった のですが、大勢の人と一緒に外へ出たら、金メダルみたいな、でも楕円形のような光を見た。

すべてが良くなる感じがして、すごく幸せな気分になった。と、現実か夢か分からなくなったような感じだったそうです。

祖母は以前からとても世間体を気にする人で、家ではわがままもしておりましたが、入院してからも看護士さんや先生にとても気を使い遠慮をしていました。

しかし、徐々に思っていることをそのままストレートに言えるようになり、看護士さんや主治医の先生とも、本音の会話で自然なやりとりができる様になっていました。

どういうわけか、姪(9歳)はバガヴァンと話をしたり姿を見ることができます。

最初は、姿が見えるだけだったのですが、徐々にコンタクトが取れるようになり、話しかけると小さな日本語で返事が聞こえてくるんだそうです。

お見舞いに来ると、今日は病院にいるよ。””今日は来てないね。など、皆が感じないようなことを教えてくれていました。

『バガヴァンが好きじゃない』と言う、祖母の所にまで来てくれるバガウ゛ァンの存在にはとても驚かされました。

癌の末期と言うこともあり、好きなものを少しずつは食べたりしていましたが、見る見る痩せていき、ベットから起き上がることもできなくなっていました。

治り目が見えないことへの不安は一時あったようですが、自分が癌であることには気づかず、『食べて栄養を付けて家に帰るんだ』という、どこから来るのか分からないような、前向きな気持ちも持っていました。

末期がんとは思えないほど、全く痛みを感じることがなかったので、母が姪に聞いてみました所、

ばあちゃんは自分ひとりで生きてるんじゃないよ。カルキ(カルキ・バガヴァン)がお手伝いしてくれているんだよと言う返事が返ってきて、みんなでやっぱりと言う思いに駆られました。

お正月も開けて少したった頃、もう目を覚ますことはないだろうなと思うくらいの深い眠りに入った矢先、病院から呼吸が弱くなってきたと連絡が入りました。

母は姉に電話をし、すぐに病院に向かいましたが、聞いた姪がバガヴァンにコンタクトをとると、バガヴァンがワンワン泣きながらおばあちゃんはもうすぐ亡くなるよと言ったそうで、姪も一緒に号泣したそうです。

その脇で、甥の方は必死に泣くのをこらえていましたが、いきなりわーんと泣き始めたので、どうしたの?と聞くとアンマが、おばあちゃんが死んでも大事にしてあげてね。って言ったんだと答えたそうです。

最後は、眠ったまま息を引き取ったような感じでしたが、両目から涙がこぼれていました。

亡骸を家に連れてきてからも、子供たちはばあちゃんのことばっかり考えてしまう。と、代わる代わる鐘をたたき、体を触り自分たち自ら最後の時を過ごしていました。

出棺の日、シュルムリティーを嫌っていた祖母に持たせてあげたほうがいいのかと、母が悩んでいた所、姪が一緒に入れてあげたほうがいいよと言ったそうです。

子供たちが家族全員の似顔絵にメッセージを付けたものを作りみんなで棺に収めることになりました。

メッセージと一緒に棺のそばに置いておいたのですが、大人の私たちも最後のお別れで一瞬頭から抜けてしまったのですが、姪は自分が書いたメッセージの上にしっかりとシュルムリティーをのせ、棺に入れてくれていたようで、その姿に驚かされました。。

火葬場に着き、お骨を拾う直前姪が今、カルキが来ているよ。

ロビーのところに立っているよ。と教えてくれました。

お骨を拾い、火葬場を出た瞬間、グレーの雲が空いっぱいに張り詰めている中、ものすごく光が降り注ぐ夕日が出迎えてくれました。

叔母は、ディクシャなど受けたことはないのですが、その太陽にという文字が浮かび上がったと、車の中で歓喜の声を上げました。

葬式の夜、姪にばあちゃんは今どこにいる?と母が聞くともう天国へ行ったよ。と言うのでいつか?と聞くとお葬式の後だよと言ったそうです。

天国がどんなところかは分かりませんが、姪の話では向こうで楽しくやっているし、みんなのことをあちらから見守っているそうで、それを聞いて温かい気持ちになりました。

 

 

KYさんの体験談(2005年4月)

 

今振り返りますと、4/29という日はもうずっと前のような気もしますし、一方
でつい昨日のことのようにも感じられます。

4月29日は、私にとってほんとうに素晴らしい一日でした。

今後もまたディクシャを受けることがあると思いますが、初めての時の
印象というものは忘れがたいと思います。

とても一日だったとは思えないほど、密度の濃い一日でした。他では得がたい経験やお話や出会いがあり、今の私にとってこの日の価値は計り知れません。

参加前は、私もよく分からないまま初めて参加することもあり、在一人暮らしで今まで人より質素に生活してきたので、1万円という参加費を正直高いかも・・と感じていました。

しかし今は、本当にたったの1万円で、このような素晴らしい経験をしていいのですか?というくらいの満足感と充実感でいっぱいです。 今までこんな経験をしたことがなかったので初めてこうした場(世界)を知った感動とよろこびがありました。

私はⅠさんと仲の良いお友達でして、Ⅰさんからこの日のディクシャに誘われました。

今までも何度か声をかけられたのですが、私は色々と迷った挙句に参加しませんでした。しかし、松田先生のお人柄や過去のお話を少し伺って、大変興味といっては失礼ですが、是非お会いしたいという気持ちが湧き上がってきました。

こういう感情は言葉で定義できるものではなく、「直感的にそう感じた」としか表現できませんが・・・。今思うと、その時すでに何かご縁を感じたのかも知れません。

私は大きな期待と少しの不安を胸に、初めて参加しましたが、そんな緊張している私に、最初から温かいお心遣いをいただき、私もすぐにその場に溶け込みリラックスしていました。ディクシャの最後に松田先生にハグされたとき、私はたとえようのない安心感の中に包まれていました。

自分は、かつて両親からもこのような安心を与えられたことはありませんでした。

その瞬間、これはとてつもなく大きな「愛」なのだとわかりました。

男女間の恋愛では、個々のマインドの要素も強いがゆえ、その愛は普遍的なものではないと(私は個人的に)思ってきました。よく私達が使う恋愛の意味の「愛」は、マインドの一時的な感情であり、それが高まったり、冷めたりという状態を繰り返している(マインドがうつろい続けている)に過ぎないと思ってきました。

しかし、松田先生にハグされたときに感じた愛は、私がいままで知っていた愛とは全く別の質のものでした。個々人のマインドを超えた、普遍的な愛の存在を感じました。(言葉で表現すると何か嘘っぽく平たくなってしまいますが・・)

また、私がディクシャの前の火曜日頃、とても楽しみにしていたにも関わらず、なぜか「29日は止めたほうがいいのではないか? 5月にもあるのでその日にした方がよいのでは・・」と直感的に感じたのはなぜなのだろうと思っていました。自分が不安なのではないということだけは分かっていました。そう思いながら参加したのですが、松田先生が体調を崩されたと聞き、あっそういうことだったんだと解りました。

その後、お昼休みに貴重なお話の時間をいただきましたが、その時にも先生はちょうどその頃から体調を崩されたと仰っていたので確信しました。

それを後で話すと、「それは(ハイアーセルフから来る)直感ではなく(意識を向けたときにシンクロする)共鳴だよ」と言われました。

しかし、私はそのフィーリングが直感ではなく共鳴であったとしてもとても嬉しかったのです。それを感じられるのは、ご縁がある方に違いないと思ったからです。松田先生は素晴らしいお方だと、Ⅰさんから伺ってきましたが、実際お会いしてみますと、私の想像をはるかに超えた素晴らしい方でした。それはお会いした瞬間に伝わってきました。

それに初対面にも関わらず、なぜか懐かしい感じがしました。

チャクラ瞑想やディクシャの時間も初めての貴重な体験でしたが、お昼休みに松田先生のお話を個別に伺った時間が、何より貴重な得がたい経験でした。

この日の経験そのものが、神様の恩寵だったと私は思っています。

また今度、このような素敵な時間を与えられることを、楽しみにしています。

 

以下に、私が得た「体験」と「気づき」を記述してもよろしいでしょうか。これは特別なものではなく、個人的かつ現実的なことばかりですが、ご辛抱下さい。

 

ディクシャの最中は、私はなにか「特別な状態」を体験することはありませんでしたが、その後になってみて、いくつかの(現実的な)「体験」と自分の中での(個人的な)「気づき」がありました。また、ディクシャの最中にも、少しですが感じたことはありました。

 

最初のときに、体の中に何か空気ではないものが入り込んできてそれが一杯になり、呼吸が苦しいような(酸素が希薄になったような)感覚がありました。→もともと私は過喚気症候群になることがあったので、そのせいかも知れませんが・・。

それから、最後に感想を述べたときにも言わせていただきましたが、その時はマインドのおしゃべりは完全に止まっていました。

私はもとより(何も知識がないゆえ)期待を抱かずに受けたせいもあると思いますが、特別なことを味わうことがなかったのと同時に、何も考えていない、思考は「無」の状態になっていました。それは日常生活の中ではまずあり得ないような、とても静かな静寂でした。(日常では、常に次にやることを考えながら生きているので)

もしこの状態が永続すれば、私が過去何度も繰り返してきたパターンである、「些細なことが切っ掛けですぐにマイナス思考に陥る」ことがなくなるのではないか、と思うほどでした。

松田先生が仰っていた「悟りを得ても、痛みや苦しみはもちろんあるが痛みは痛みでしかない。過去を繋げたり、先を不安に思うことはない」というお話を思い出しました。

過去の同じような記憶を引っ張り出してきたり、未来の不安を繋げてみたり・・。マイナス思考が生み出す苦しみは、出来事そのものに苦しみがあるのではなく、自分のそういう思考パターンが作り出した「幻想」、「妄想」なのだとしたら・・・。

 

ディクシャで(短い時間ですが)体験した「思考が停止」している状態になれば、余計なことを考えなくなり、悩みごとや悲しみが長く続いたり、拡大するということはなくなるのではないか?と思いました。

ディクシャの最中に体験したことは、上に二点ほど書いたような感じで、「あぁこんな感じなのかな・・」と漠然と思っていたのですが、この日のカリキュラムを終えた後、お友達(ⅠさんとMさんです)とお食事に行ったのですが、そこでの会話で、いくつかの「気づき」がありました。

が聞いたら些細なことかも知れないけれど、私にとってはとても大きな出来事でした。

漠然と言えば、自分がシンプルに(素の状態に)なっていくプロセスの入り口を味わったような感覚でした。(分かりにくい表現ですみません)

今までは、私は人との会話(家族や友人)において、自分の「考え方」、「価値観」というフィルターを通して話を聞いてきました。

それはどういうことかと言うと、

「ああ、この人はこういうことを考えているんだな」、「この人はこういうことが言いたくてこう言ってるのかな」

とか、自分の解釈が入り込んでいたのです。つまり、人の話を真っ直ぐに聞けていない状態でした。しかし、ディクシャを受けた後、すごく体が軽くなっていたのと同時に、私の内面にも変化が現れていたことに、後になって気づきました。

 

ディクシャの後、インドに行ってきた人達の体験談を伺う時間がありましたが、このときに、初対面の人達のそれぞれの体験談やお話がごく自然に、ストレートに自分の心に入ってくるのを感じました。私自身の価値観やジャッジというフィルターを介さずに、ダイレクトに入ってくるという感じがしたので、共感や感動がより深まりました。今までの私は、映画の批評家がある映画について、自分の物差しでストーリーを捉えて、「これはよい」、「これはダメ」と評価したり、批判したりしている、それに近い感じだった気がします。

ですので、他人の話を一つのストーリーとして淡々と聞く感じではなく、自分のことのようにリアルな感動があったのは、自分でも意外でした。

また、このことは「ありのままの自分を認める、受け入れる、許す」ということと、同じ方向に向かっているのだと思いました。それは頭では理解してきたことですが、この時は頭ではなく、確かな感覚としてよくわかりました。私は今まで、自分を大きく見せたい、人から認められたいと思うが故、頑張り過ぎてしまうところがあります。また、人から好かれたい、良く思われたいという思いも強くあります。そのため、「こうしてはいけない」、「こうしなきゃいけない」というような自分で自分を一つの「理想」という型に縛り付けるようなことをずっとやってきました。

そのため、自分の頭と心と体がバラバラの状態になってしまうことがよくありました。(そういう時は、決まって私は体に変調が出てバランスを崩してしまうのですが・・)

心は傷ついている、しかし頭ではそれはいけないことだと考えている、そして頭の考えで強引に納得させようとする。・・・悲しみ、怒りなど、湧き起こってくる感情はすべてそうでした。

ある意味「計算」であり、自分を「理想の人間像」というレールに強引に乗せようとするような行為でした。しかし、本当の私はでこぼこに曲がりくねったレールなのです。

私はディクシャの後で、別の話をしているときに、ある「悲しみ」の感情が沸き起こってきました。今までにもその話をして、何度となく沸き起こってきた悲しみです。しかし、今までは「私は大丈夫」、「悲しくない」と考え、そこを頑固なまでに譲らず、自分に言い聞かせて、意識を別の方向に向けてきました。

「これをしてはいけない」、「こうすべきだ」、「周囲から認められる人間でなければならない」、・・・などの様々な無意識の信念が、私という人間を、よりシンプルで素直な

状態から遠ざけていたのかも知れません。

(しかしこれは今になって気づいたことで、それまでは自分がそういった信念にコントロールされているということにすら、気付きませんでした。)

でも、考えないようにすればするほど、モヤモヤは残っているので、その話が出ると、そのモヤモヤした悲しみはまた燻り始めます。

しかし、ディクシャの後で感じた「悲しみ」は、今までのパターンとはやや違っていました。意識を他に向けようとしたり、ごまかそうとする力すら沸いてこなかったのです。 だから、悲しみの感情を避けることができず、それを真正面から受け入れるしかないような状態でした。

その悲しみは、夜の寒い海に沈んでいくような、自分の存在そのものが消えてしまいそうな悲しみでした。私は相手に気を遣ったり、何かの言葉を発することすら忘れていました。(というか、できませんでした。)

私はその相手に、「それを言われてすごく悲しかったです」と初めて伝えました。相手からは、それは前から気づいていたと言われました。

しかし、私はその「悲しみ」の感情を素直に受け入れた、そして相手に対して認めた自分が新鮮であり、そんな自分を好きだと思いました。

「自分はこうあらねばならない」という、今まで自分を縛ってきた価値観が、ディクシャの恩寵によって少し消えたのかも知れません。

また、こうありたいと頭で描く自分と現実の自分と、現実の自分の内側とのギャップにもはっきりと気づきました。

その夜、布団に入って横になった後も、その悲しみはもっと大きな波として押し寄せてきて、私は仰向けになったまま、涙を流しました。

涙は流れても流れても止まらず、嗚咽も止まりませんでした。自分が寝ているこの布団もろとも、沈んでいくんじゃないかと思うほどの悲しみでした。

相手に言われた言葉は、ただの「言葉」であって、そこに悲しみがあるわけではないと思います。悲しみは、私が過去に傷ついたトラウマや、自分の被害妄想が勝手に作り出した「感情」にほかならないのだと思います。

 

「いつも一番大切な人は、なぜか私を切り捨ててどこかへ行ってしまう」、

「私はこの後もずっと、愛している人から愛されることはないだろう」、

「今のこの幸せがすべて消え去ってしまう」、「私は認められていない」、

「私には価値がない」、「私がただ一人残された孤独」、・・・

ほとんどがエゴの、醜い、独りよがりの、ネガティブな思考ですが、でもその感情から逃げずに正面から向き合えたことは、私にとっては成長の一歩なのかな?と思います。

ネガティブな感情が湧き起こってくるなら、逃げればそれはどこまでも追いかけて来ること(繰り返すこと)は過去の体験で分かっていますし、ネガティブとしっかり向き合うことも、一時的なプロセスとしては必要なことなのかも知れないと思いました。

私は4月29日に松田先生のディクシャを受けて、初めて本当に意味でのスタートラインに立ったのだと思っています。

ここから私の本当の旅が始まったような気がしています。

たいへん長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。

また、松田先生にお会いできる日を心より楽しみにしております。

 





  





シュリムルティ
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